3月23日。
907という数字、さっきなおした。850くらいから突然600番代に打ち間違えていたので200日分くらい誤差が生まれてた。なるほど少ないと思っていたのはそういうミスでした。
気がつけばもうまもなく1000になる。100にたどりついたときはそれはそれはうれしかったけども、1000ってなるとなかなかいい数字まで来たように思える。
でも表現の仕方次第で、まだ3年も経ってないとも言える。まだまだ発展途上ってことですな。
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3年前ってのは私が大学3年生の終わりのころです。当時はコロナなんてなかった。サッカーワールドカップとかで盛り上がってのがそこらへんかしら。オリンピックもそろそろだとかでチケットどうしようかとか考えてた気がする。
遠い昔のような気がしてくるけどたった3年以内のことなんだね。
中1から中3までの3年はめちゃめちゃ長かった気がする。今の視点から見たらあっという間だったけど、当時は永遠に続くような気がしていた。それだけいろんなことをやらなくちゃいけなかったし、めちゃめちゃ集中して打ち込んでいたから中身ぎっしりだったんだろうな。
そう考えると、ここ最近の僕の3年間は中身が薄いってことなのか。そうでもないと思うんだけどなぁ。でも一つのことにずっと取り組んだのは中学生に比べたらまだまだかもしれない。
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よくいうあっという間だったとか、めちゃめちゃ長かったっていうのはどういうことなんだろう。
あっという間っていうのは集中力を使いまくってた結果だと思う。でも、いろんなことに充実した時間を使っていたら思い出いっぱいなのでたくさん時間があったなぁと思うような気がする。
僕個人としては、あっという間っていうより長い時間を過ごしたなぁというほうがいろんな想いがこもった時間をこの人は過ごしたんだろうということで、好きな表現だったりする。
でも、長い時間っていうのはぼーっとしているようななにごとにも集中していない退屈な時間ともとれなくない。なのでなんとも言えなくなっている。
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結局、短く感じた・長く感じたっていうのは今からの距離感のような気がしている。僕は生まれてまもない記憶はないタイプの人間なので、0歳から7,8歳くらいまで短すぎてないに等しい。そのあとの小学6年間もテニス始めたり、ピアノやってたくらいでそんなに記憶がない。なのでめちゃめちゃ短かったと思う。
中学3年間は小学6年間より長かったと思う。でもその高校3年間は中学3年間より長かった。
いや。ここまで振り返って思った。決して長くはなかった。情景を思い出せる記憶が多いだけなんじゃないか。
中学も高校もいまから思い出したら等しく一瞬だった。でも当時の記憶を思い出すと高校の方が長いのは単純にいろんな場面があったと鮮明に思い出せるから。
大学4年間だって中高と同じくらい一瞬だった。
いやまてよ。大学4年間はめちゃめちゃ思い出深い場面はない。いくつか思い出すところはあるけど、高校3年間に空白の4年間と言えなくもない。
つまりその時期僕は〇〇をやっていた!と言えなかったらなかったことになるんじゃないか。
この話で言うと、特定の出来事が充実していればしているほど思い出深くなって長い時間のように感じる。充実した記憶が薄ければ短く感じる。
つまり、感動は長い時間であり、無感動はゼロになってしまう。
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まもなく迎える1000という数字。
感動があったのは1-100だったと思う。101-907は感動はあまりなく、地道な日々だった。だから1-100までは長かったけど、そこから今に至るまではあっという間だ。どっちが貴重かは比べられないけどね。
充実していたら一瞬なのか、充実していないから一瞬なのか、よくわかんねぇや。