〈919.習慣のこと〉
4月4日。
ホットケーキをつくった。
ホットケーキミックスからだけど。楽しかった。空腹を満たすための食事じゃなくて、楽しみとしての食事。こういう料理はほとんどやってない。
空腹を満たすためだけなら見た目とかどうでもいいし、むしろ具材をわざとデカイままにしたり固くして歯応えを求めたりした。でも今日は完璧なパンケーキを目指して作った。
色、柔らかさ、味。ちゃんと分量計ってつくるのは恥ずかしいながら初めてかも。いつもと違うものを求めるのは面白い経験だった。
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皿洗いも最近はよくやっている。まえはとにかく貯めに貯めて、使える食器がなくなったらしゃーなしまとめ洗いしてた。でも最近はきれいにしておくほうがよろしいよということで、食後おちついたころ、寝る前には全部洗うようにしている。これが意外と気分がいいもんだ。
最初は珍しさから楽しかったりしたけど、習慣になってきたこのころはめんどくさかったりもする。それでも無いということが習慣であるために洗うようにしている。なによりそれが僕のタスクだから。
皿洗いは結構好きなんだよね、という言葉は皿洗いが習慣じゃない人の言葉だと思う。習慣に好きも嫌いもない。やることになってるのでやる。まわりから言われたかもしれないし自分からかもしれないけど、とにかくやるのでやる。
最近の皿洗いはようやくその領域に入った。
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高校までのテニスの練習もそうだった。もちろん負けたことが悔しかったり、自分の理想のプレーをしたいから練習したんだけど、それ以上に結局、やることになってたからやってたんだと思う。
そこに好き嫌いってあんまりないような気がする。もちろんテニスという競技は大好きだけどね。毎日の練習に対しては無感情だったな。良くも悪くも。
習慣にするってことはそういうことだ。刺激がないこと。それに対して良くも悪くも刺激がないのでストレスにならない。顔を洗うことだったり歯を磨くこと(人によっては特別な感情もあるかもしれないけど)と同じように、皿を洗ったり料理をしたりする。
めんどくさいというネガティブな気持ちもあったりするけど、やらないことのほうが気分悪いのでしゃーなしやることもある。そういうもの。
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だからテニスでは一流にはならなかったのかなぁと思ったりする。
皿洗いの次は部屋掃除かしら。それより洗濯かしら、料理かしら。
習慣ごとにするのは感情がなくなること。そして人と比べられたりしたときに、ふいにそういやそういう習慣だなあと気づくもの。
家事頑張ろうね。