ホウチガブログ

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〈957.錦織選手の変化〉

5月11日。

 

錦織選手がオリンピックについてコメントをした。これについてテレビやらネット記事やらで批判的な選手や政治家のコメントが取り上げられている。

個人的にこれは嬉しい。というのも錦織選手の試合後の会見は「つまらない」と海外では評価されていたからだ。

 

 

錦織選手は天然なコメントが多いけども、社会問題などについてはきっぱりとコメントすることはなかった。いかにも「日本人的」なふわっとした回答で明確な立場を明らかにすることはなかった。

だからこそ他の選手が賛成したり批判したりするような話題の時に錦織選手の会見は、記者にとっては取り上げる価値がないと判断されてしまい「つまらない」と言われることもあった。

 

今回は真逆である。開催国日本の選手というのもあってきちんとコメントしたほうがいいと思ったのかもしれないし、単純に30代になって思想とかそういうのが固まってきたのかもしれない。いずれにせよ個人的にはこれまでの錦織選手とは違うようだぞと感じ、ちょっと嬉しかった。

 

 

しかしまぁ批判的なコメントが多いのは仕方ないだろう。実際テニスという種目においてオリンピックは人によってそれほど大事ではないかもしれない。テニスはグランドスラムという大事な大会が4回開催されているし、オリンピックでもらえるランキングのためのポイントはそれほど多いわけではないと聞いたことがある。

つまり選手人生における栄誉のためであり、言い方を悪くすれば金メダルを取った選手=世界一とは言えないのがテニスだからだろう。

 

 

錦織選手の開催への否定的なコメントは、世界を転戦している選手のコメントとして見ると「君は試合ができるからどうでもいいだろうけど」というふうに受け取られるのは仕方ないし、実際そういうふうに考えているのかもしれない。

ただ言葉の通りに考えれば、スポーツは所詮スポーツであり、人命のほうが重いのは当然である。究極的にはスポーツは生きるのに必要はない。豊かで充実した人生のため、つまり人生の質を上げるためにはスポーツはあると良い。でもこれは娯楽と同じといえる。娯楽に人生を賭けているという点では、映画監督だって小説家だって変わりない。

それと違って観戦するという物理的な影響力があるのがスポーツの難しいところ。

 

オリンピック開催の是非については僕はわからない。どっちの立場のコメントも理解できる。

無観客ならいいのかしらといえばそうでもないような気がする。

この難しい話題に錦織選手がコメントして議論を起こすようになったのは年取ったんだなと思います。