ホウチガブログ

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〈979.免許のこと〉

6月2日。

 

車のおかげで線路を気にせずに比較的遠くまで一人で移動できるようになった。都会だとその恩恵はあんまりないけども、群馬みたいな電車が走らない良いスポットのある場所では最高である。

まるでなんでも自分でできるようになったかのような気分である。勝手に自己肯定感とか自尊心が育まれた。そういうのに興味ある人は免許取ろう。

 

 

他の免許でもできることが増えるってことで自己肯定感上がるような気がするけども、免許の場合だとできることが物理的に明らかになる。技術的な資格とは違って、ゼロだったものが急にイチになる。許されるのが免許だからね。

なにか機械を動かせるようになって物理的に現実世界で利益を得られるのが目で見えることが肝である。

 

となると他の免許よりも車の免許がそうなのはわかるだろう。船とか飛行機とかがそれかもしれないわね。

 

 

資格と免許だとその違いがあるのかもしれない。資格は徐々にできるようになるものに対して一定のレベルの共通理解を得るための指標である。漢検とか英検はわかりやすい。

一方で免許は徐々に上がるものというより、禁止されていたのを許すわけだからゼロからイチに急に変わるものだろう。もちろんその先で技術の向上はあるだろうが。

 

となると、免許をたくさん持っているとできることがどんどん増えるわけだ。視野も広がってくるだろう。そういう目的で免許を多く取ろうとしてもいいかもしれない。

 

 

とはいえ禁止のことを特別に許されるわけだから、資格に比べると習得するのに色々な制約がかかってくる。まずは金銭的なものがでかい。車の免許だと教習所で30万くらい取られる。他の方法があるのかわからないが基本はこれくらい必要だろう。

僕が持っているもう一つの免許は教員免許だが大学に通って取った。なので免許だけでいくらというのはわからないけど、講義15回を40個とか取らないといけないし実習も色々としないといけない。つまり時間的な制約が大きい。

 

どんな免許にせよ、かなりのハードルを超えて取得できる。このハードルを超えてまで取りたいのかということで免許としての社会性とか価値を保っているのだろう。そうやすやすと取れないのが免許である。

 

 

次になにか取りましょうってなったら間違いなく家で勉強して試験で良しとされるような資格になってくるだろうな。隙間時間を使うことくらいしか大人になるとできなくなってくる。

免許はそういう難しさがあるということだ。学生のうちに取れるもんは取っとけという親の意見もわからんでもなし。