ホウチガブログ

~方向性の違いでブログ始めることになりました。~

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〈1000.ライフヒストリー法〉

6月23日。

 

記念すべき1000日目である。といってもなにか特別なことがあるわけでもなく、いつも通りに書くだけである。
とはいえせっかくの機会だ、1000日前のことを振り返ってみてもいいかもしれない。

 

 

ホウチガスタート当初は、一つのコミュニティを作りたいと思っていた。文章を書いてみたいという文章下手な人たちがそれぞれに書きたいことを書くような。いまでも別に新しい人が増えても全然ウェルカムだと思う。
そんなコミュニティづくりを目指したきっかけは誰かのためにとかではなく、全て自分のためである。人が書いた文章を見て、自分の文章を上手くしたいと思ったから。あるいは公の場に自分の文章をさらすことで少しでも上手くなれるだろうと思っていたからである。

結果的に自分の文章力が向上したかは自信がまったくないけども、1000日間1000文字程度の文章を書き続けることに抵抗はない。特別どうという感情もない。100万文字を書いたけど、なにが変わったわけでもない。習慣化したことでむしろ意気込みがなくなって上手くなろうとしなくなったかもしれない。

 

 

ただ、さすがに自分の書く癖はわかってきた。○○であるではなく、○○と思われる、というような弱い表現を選ぶこと。体言止めをするときは相当テンションが高い時であること。句読点をたくさん打ちすぎること。
毎回行き当たりばったりで書いて推敲もせずに投稿するけども15分程度で1000文字の流れを書けるようになったのも数書いたからかもしれない。

 

しかしまあ、これまでの投稿内容を見てみると自己陶酔のなんとも恥ずかしい黒歴史のものもあれば、やたら鬱だなあというものもある。
なんでこんなもの公開したのか意味わからんのもあるけども、それも含めてということでいいだろう。
定期的に言っていることであるが、100年後1000年後の青年が平成・令和という過去の時代に人間がどうやって生きていたのかを知る材料になればうれしい。そこから社会の分析であったり歴史認識みたいなところまで研究してもらえるようになったらなおのことうれしいかもしれない。
まあ恥ずかしい文章が多いわけだけども。

 

 

今のモチベーションはコミュニティづくりではなく一種の研究である。ライフストーリーであったりライフヒストリーであったりいろんな言い方があるけども、ひとりの男が、ひとりの女が、どういう風に生きたのかを分析する方法である。当人の生活を追って出来事を観察することもあれば、それまでの人生について語ってもらう。
これによって、その個人ではなくその地域の人であったり時代を生きた人がどういう文化・社会のなかで生かされていたのかを分析する方法。

僕はアフリカ研究でこれをしてみたかったけど、時間と言語の問題で諦めた。だからこそ、その代わりに僕が僕を分析するのも悪くないだろうということである。

 

 

1000という節目に毎日(という「てい」での)投稿はやめてもいいんじゃないかとも思った。
とはいえやめる理由もない。だらだらと続けるのも別に否定することではないし、もしかしたら続けていたらどこかで覚醒してめちゃめちゃ文章が面白くなるかもしれない。
ということであと一桁増えるまではとりあえず続行でいいんじゃないかしら。