ホウチガブログ

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〈1059.ヨットモ〉

8月21日。

 

大学時代に衝撃的だった言葉に「ヨットモ」というのがある。

おそらく「ヨッ友」と書くのだろう、廊下などですれ違う時に「ヨッ」と声をかける程度の親密度の友人という意味だ。

会釈するよりもましだけど、会話はしないレベルの友達。それは友達というより知人ということだと思うが、あくまで友達なのだ。

 

 

なんでこれを知ることになったかといえば、僕にヨッ友が多くいたからである。

 

大学というのは知り合いが増える場であることに間違いはない。授業で前後になればプリントを渡すだろうし、少人数授業であればチームを組まされたり、共同発表させられる。

僕は比較的真面目に授業を受けていたためプリントを持っていたりテストの情報を持っていたりした。

そういうことで、単位を取るための頼りの存在としてヨッ友がいる。テスト直前になるとよく覚えてないような奴からLINEがきた。

 

あくまで友達だからギブアンドテイクが成立するということだ。僕のギブはあっても向こうからテイクはなかった気がするが。

 

 

これが衝撃だったというのは、そういう現象は僕だけではなく学生一般にあるということに驚いたからである。

おそらく単位獲得の目的以外にもヨッ友が生まれる背景はあると思う。

 

授業などで少しの間一緒に行動してしまうと、お互い認知している状態になる。こうなると赤の他人に戻ることはできず、とりあえず挨拶はすることになる。

なぜ挨拶をするのか。ひとつは、会話はできないけど認知していることを示して気まずい空気を回避しようというのがあるだろう。

もうひとつは、知り合いには挨拶をするというのが一般常識なので、それに反する行為はネガティブだからというのもあるだろう。

そしてあくまで推測だけど、なかには知人というグループ分けがされておらず全員友達というポジティブマンもいると思われる。アメリカのスクールドラマの主人公みたいなナイスガイのようなタイプ。

 

 

個人的に「ヨッ友」はいてもいなくてもどちらでも良い。いや、不必要だろう。

仮に危険な状態になったところでヨッ友と助け合うこともないだろうし、なにかきっかけがない限り挨拶以上の会話が生まれない。

そもそも、仲良くなるような人間関係であればすでにヨッ友の関係からは抜け出していると思う。

つまり、「その程度」の関係であればないと同じだと思う。個人的には必要な時に利用される駒程度にしか受け取られていないのでむしろマイナスだと受け止めていた。

 

 

でもまあ、「その程度」であれば大きな負担になることもないし、それで悩まされるようなこともないだろう。

なので「ヨッ」と声かければ維持できるものなら続けてもバチは当たらないだろう。というよりどうでもいいか。

 

実害があれば話は別だけども、知り合いは多いに越したことはないかもしれないし。