ホウチガブログ

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〈1091.記憶に残っているということ〉

9月22日。

 

大昔の記憶にあることは、感情が大きく揺れ動いた瞬間のことだろう。
例えばうれしいとか、悲しいとか、楽しいとか。

それは多分間違いないと思うんだけど、その中でも「発見」という感情の動きがなかなか面白いと思った。当時ぼんやりと思ってたことを言語化された瞬間。これは感情の記憶の中でも結構はっきり覚えている気がする。

 

 

例えば、小学校4年生ごろの話。

地元のおじさんとテニスをしていて、休憩していたらおじさんに急に素振りをするように言われた。
ということでいつも通りに素振りをしたら
「めちゃめちゃゆっくり素振りしてみて」
こんなことを言われた。
意図がつかめなかったけど、とりあえずゆっくりやってみた。右の次に左。
「もっとゆっくり」右で左。
するとこういわれた。


「右はゆっくり素振りできるけど、左はそれに比べて早い。自信がないほうの素振りはスピードでごまかそうとしちゃうんだよね」

 

実際、右(フォアハンド)は自信があるので、どんなにゆっくり振っても間違いはないので堂々とできる。しかし、左(バックハンド)は自信がないのでスピードを出してごまかそうとしていた。
同じ理由で、サーブはゆっくりできるけど、ボレーはゆっくりできない。


なるほど、確かにこれで自信のあるのとそうでないのがはっきり分かれた。そして、フォームに自信がないんだから堂々とボールを打てるわけがない。

この「発見」の記憶は今でもよく覚えている。夜のナイターのテニスコート。僕は半袖でおじさんは長袖。虫がそんなにいなかったから冬明けの春かしら。

 

 

なんでこんなに鮮明に覚えているのかというと、たくさん「復習」していたからだろう。


「発見→納得」の記憶は、定期的に思い出してしまう。というのも、その発見は一種の快楽だからじゃないかしら。整理できた時の快感。
それでなんども頭の中でリピート再生されるので、記憶の忘却曲線が更新される。すると記憶が定着する。

 

もちろん他の記憶も「復習」しているからこそ定着しているんだと思う。それが僕の場合は「発見→納得」が鮮明に覚えている。

 

 

他の例。とはいえテニスだけども。
練習試合で高校生の時、大学生の人と試合をした。そこのコーチが試合終わりに話しかけてくれた。
そこで、当時の僕の悩みを聞いてもらった。
「みんなに、スピードを落としてラリーを重視したらいいといわれる」
するとその若い兄ちゃんコーチは言ってきた。
「その『みんな』っていうのはだれだ。ここに呼んでみろ。」

 

つまり、気にしていた一部の意見に振り回されるな、それを誇大妄想で自分を見失うな、ということだった。
確かに、当時何人かに言われていたその意見をやたら気にしていた。だが納得いってなかったからこそ、その意見を実践していなかった。
ということで、その兄ちゃんは僕の背中をおしてくれたわけだ。


これもナイターだけど、その一回しか行ったことのない商業高校のテニスコート。陸上部が隣で練習していた。結構きれいなグラウンドだった。夏。

 

 

なんども繰り返し咀嚼しているからこそ、はっきり記憶が残るということだと思う。
意識せずに繰り返し復習してしまう。ここには大きな感情の動きが必要だ。

逆に言えば、誰かの記憶に残したいなら、その人の感情を激しく動かす準備が必要だということだ。