〈633.五感の記憶〉
6月22日。
親父と二人で遠出することが多々あった。親父の車は、若干のタバコ臭さとそれを懸命に隠蔽するための芳香剤の臭いが混ざった、犬の小便みたいな臭いがする。毎度乗ってすぐは気持ち悪くなり、慣れたころになって到着する。
親父は学生の頃に音楽をやっていたこともあって、その頃に有名だった曲をよく流す。2-3時間も聴き続けるのを何度も経験した。おかげで今でも好きな曲の方向性は親父とかなり似たようになった。
鼻の記憶と耳の記憶は、脳の整理された記憶よりはるかに精密に、風景と心を描き出してくれる。
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脳みその記憶は頼りない。あとからの解釈でどうにでも変わってしまう。最悪な記憶もあとからいいことがあれば必要悪だったなんて正反対な感情が生まれたり、最高の記憶もあとからあんなことなければいまごろは、なんていう話もしたりする。純粋な感情じゃなくて、判断がまとわりつく。
だが、脳みそ以外の感覚の記憶っていうのはその判断がない。ただ純粋にその記憶を刻んだ時と同じ感覚を思い出す。
キツイ臭いのなかにぼんやりとかすむタバコのかおり。80年代の洋楽。車の窓際の触り心地が良く低すぎる腕置き。山を切り開いてできた高速道路での渋滞。15,6歳の遠征の緊張感と高揚感。
判断の混ざっていない感情を大事にしたい。けど年々忘れていくような気がする。もったいない。もったいないから絵にしたい。記憶の中の一場面を絵にしたい。だけどそんな画力今はない。それなら文字にしよう。消えかかった記憶を文字にすれば忘れずに済む。
だけどもそれには、書いているときの判断が混じるような感覚もある。純粋な感情じゃない。残したいという思いが発生してしまっている。
つまり、永遠に具現化できない記憶が大事な記憶なのかもしれない。
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だからタイムカプセルっていうアイデアが生まれたんじゃないかな。当時の気持ちを土に埋めて、ちょうど忘れそうになった頃に掘り出して刹那の記憶を取り戻す。その純粋な高揚感と郷愁と優しさの混じり合い。
私はタイムカプセルしようぜ!なんていう親友がいないもんだからしたことがない。なので憧れがある。うらやましい。してみたい。
でもいまやったらいろんな損得感情が生まれそうで純粋な気持ちじゃできなそうだ。
五感の記憶を刹那的に取り戻した時に、殴り書きでメモしておくくらいしかできることはないわ。
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戦闘力74日目
587(+7)
勉強+2
その他+5
いやね、夜行バス乗っちゃったもんだから投稿ができなかったのよ。仕方ないじゃない。家着いて眠っちゃったんだもん。バスとか新幹線に乗ると、なんだか懐かしい気持ちがするのはなんなんだろうね。