ホウチガブログ

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〈1118.体幹のこと〉

10月19日。

 

テニスをしていると露骨に体幹が弱いことを思い知ることになる。
例えば強打をした時。打ち終わった時に体が前のめりになる。つまり、ウイングスピードに体が耐えきれていない、筋力が足りていないことになる。
これが練習ならまだいいかもしれない。しかし、試合になると致命傷になってくる。今日はそういう話。

 

 

試合始まってすぐなら遜色なく戦えるかもしれない。
しかし、もともとの筋力が弱いと持久力もない。すると徐々に体がぶれるようになり、安定したボールが打てなくなる。体がぶれるということは、相手が打ち返してきた時のリカバリーが遅くなるということでもある。

ラリー戦での体力もなければ、試合全体としての忍耐力もないことになる。選手であれば致命傷である。
しかしながら不思議なもんだ。日常生活する上ではぶっちゃけ体幹の有無ってあんまり関係ないように思える。

 

 

そもそも日常で必要な筋肉ってなんだ。
人によって「日常」が示すところが大きく違うから何とも言えないけども、最近の世の中じゃあほとんど筋肉いらないわよね。
朝起きて、ご飯食べて、電車に乗って、デスクワークして、電車乗って、夕飯食べて、寝る。唯一使うのが、電車の立ち乗りくらいだ。
人によっては肉体労働もあるだろうし、僕みたいな立ち仕事というパターンもある。
とはいえ、体幹が活躍する機会ってないんちゃうか。どうなんやそこんところ。

 

 

ネットのGoogleさんに聞いてみたら、なんこかぽんぽんと回答を示してくれた。
ひとつ、怪我の予防。いざというときの動きの大元は体幹にあるそうな。確かにそうだ。体の軸を安定させる筋肉なんだろうからね。そうなると老化に伴って転んだりつまずいた時の、受け身や態勢の立て直しには大事である。
もう一つ。いつまでも一人で歩けるために。まあそうか。姿勢の維持にはかなり重要だろう。猫背の原因は体幹の弱さがあるとか聞いたこともある。骨の負担を減らすためにもまずは筋肉ということか。そうなると、年をとっても一人で動ける体であるのかもしれない。

つまり、一瞬一瞬の日常ではなく、長いスパンで考えた時の日常を維持するための土台として必要だということだ。

 

 

刹那的に生きる人であれば必要ないけども、刹那的な生き方が招くのは破滅だと聞く。ちょっと先の未来が楽できるようにするためには体幹があると良しということだ。

体幹レーニングは家の中でできるし、ランニングみたいな露骨な運動ではないので気軽にできる。
あたしはテニスのためだけど、未来のためにも体幹はがっちりしてるほうがよろしかろう。