〈831.情報の体系化について〉
1月6日。
今年はとにかく情報をたくさん貯蓄しようと考えてあるわけです。貯蓄がなけりゃあなにも出力にまわせませんからな。
しかし、人間の貯蓄は物体にしなくてもできてしまうわけです。それがひとつ良さでもあり、逆に悪いところでもあると思った次第です。
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例えばテニスについて貯蓄しようとしましょう。
大きく二つの貯蓄先があります。プレイヤーとしての貯蓄とコーチとしての貯蓄。
プレイヤーとしての貯蓄のためにはなによりもまず体を作ることが必要なのはわかるでしょう。トレーニングであり練習であり、メンタル強化なんかもそれでしょう。これは物体化できない貯蓄です。
コーチとしての貯蓄はやはり戦略でしょう。いろんな試合を分析してみたり、体の作りを勉強して効率的なパワーショットの打ち方を考えてみたり。これもまた脳味噌に詰め込むので貯蓄しないものでしょう。
プレイヤーとしての貯蓄が直接的に筋肉に響くものでコーチとしての貯蓄は脳みそに記憶として残すものでした。それをどうやって出力にまわすかというと、プレイヤーは実際に試合の中で体を動かして出力される。コーチはプレイヤーに伝える言葉として出力される。
この二つの非物体的な貯蓄→出力は、貯蓄したものを体系化して形にするという意味で付加価値が与えられるんだねぇ。それがひとつのオリジナリティになるわけだ。
世界史の年号はだれでも同じものだけど、それらが3つ組み合わさった時の解釈は人によって変わってくるような関係と同じ。
これが非物体の貯蓄の良さだ。
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5年後にプレイヤーがコーチに質問したとしよう。
5年前と僕はどれくらい変わってきましたかね。
この時、貯蓄をもとにコーチは解答を考えるわけだけど、その時その時の貯蓄を形にしてこないと記憶は更新され続けるものなので「今からの解釈」しか伝えられない。悪くはないけど、昔になればなるほど曖昧で当時の意味合いが薄れてくる。
これが非物体の悪いところ。そのまま再現はできない。
簡単な話、全国レベルの選手に市大会レベルのプレーをしてというのはとても難しいわけで。というのは体を用いた出力のレベル調整はほぼ不可能なのだと思うからです。わざとミスすることができても、そこにはやっぱりわざとらしさが出てくる。
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そういうことで、言葉とか思考については文字に残すことがとんでもなく大事だと思うわけです。
もちろん、文字に残さなくても「今からの解釈」だけが必要であれば文字にいちいち残さなくてもいいでしょう。趣味なんていうのはそういうもんだ。
しかし、知識を体系化するためにはやはり文字に残してみるのがとても効率的なんですな。記号を通して、物理的に関係性がわかってくるからね。
そういうことで、今年は貯蓄した情報をきちんとノートにつけていこうと思ったわけです。文字にするのは得意だからね。
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戦闘力271日目
1695(+7)
勉強+2
その他+5
そして集めた情報をもとに、きちんと出力する。文字として体系化されていると自信が出てくるからね。