ホウチガブログ

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〈1128.物語の嘘の大小〉

10月29日。

 

「大きい嘘は許されるけど、小さい嘘は許されない。」
なるほどこれはその通りである。これは物語を書く人はよく覚えておくべき金言らしい。知らなかったけど、物語を読んでいてつまらない・楽しくない時は多分これが発動しているんだろうなと思う。

 

 

「大きい嘘」とは、その世界観そのもの自体のことである。
ゴジラという存在、魔法という概念、別の世界線などなど。まず現実では起こりえないことがこの大きい嘘である。これが許されるというのは、そもそもそこは飲み込んでもらわないと読み進めることができないからである。
なんで悟空は空を飛べるのか、手からかめはめ波を打つことができるのか。そんなことはドラゴンボールでは前提である。そこについての理論とかはどうでもいい。そういうもの、としてページをめくればいいのだ。

 

 

「小さい嘘」とは、ミクロな描写についてである。
ベジータがピンチの時に悟空にスマホで助けを求める。これはまずありえない。ドラゴンボールの中ではそもそもスマホという存在が微妙である。ブルマの開発力で既にそういうのではなくアップルウォッチ的なものはあったような気がするが、そういう電子機器はそれほど重要じゃない。そしてベジータスマホを使わないし、悟空に助けは求めない。悟空に助けを求めるなら自分で死にに行くだろう。

こういう、世界観をぶち壊すことになりかねない「小さな嘘」は絶対に許されない。

カカロット、すまんが助けに来てくれ」とベジータが話すコマが試しにあってみなさいよ。興覚め甚だしいぜ。

 

 

「小さな嘘」はいきなりリアリティがなくなるものである。
ベジータがコンビニに駆け込むのも馬鹿な話だし、スマホアプリで遊んでいてもキャラがぶれる。それを楽しむということもあるのかもしれないが、それはかなりの変化球だろう。たぶん「大きな嘘」としての伏線でしか使ってはいけないと思われる。

日常会話でもそうだろう。細かい描写に嘘があると、やたら気になったりする。つまり、細かい描写ほどリアリティのために力を抜いてはいけないのだろう。
漫画でいえば、背景が手抜きであるのがわかれば萎えるし、キャラクターの頭身がおかしいだけで読む気が失せる。

 

 

なるほどこれはその通りだ。どんな物語であっても細部は大事にしなきゃならんのね。細部に神が宿る、というような言葉もあったような気がする。