ホウチガブログ

~方向性の違いでブログ始めることになりました。~

MENU

〈1147."cheap regrets"良い歌の日〉

11月17日。

 

今日は長いぞ。

今日は良い歌の日だった。

 

Fortniteのカーラジオ「Radio Underground」を気に入っていて、特に"The Districts"の「Cheap Regrets」を永遠に聞いている。


カーラジオで流れるように、運転するのにちょうどいい軽快なリズムとベースギターの安定感である。そして題名が「Cheap Regrets」といういかにもいいカンジなやつだ。
なんども聞いているわけだが、肝心な歌詞はさっぱり理解できない。そこで岡島とだいちにお伺いを立てることにした。
なかなか賢いやつであることよ。

 

 

歌詞の全文はぜひ調べてほしい。
考察しているサイトもなければ和訳してくれているサイトもないので、英文を読むほかない。
それもあるんだけど、なんというかアメリカ人じゃないといまいち理解できないような表現や比喩が多いようだ。

 

超雑和訳のやや要約。

安っぽい後悔で僕は銅像を立てた。
ジャグジー、ウジ、ランドローバー、ビキニ、ベリーニ、パテ。これがお金の目的だ。
LAに行くまで鏡の意味を知らなかった。ニューヨークに着くまで栄光を知らなかった。
とにかく牛のように生産しましょう。
地球の穢れ、怒り、その残骸を見た。鏡は何を示してくれるのか。今となっては同じことを。
虚構とたくさんの名声。
友達はたくさんできた。
同じものはなく、まったく正しいものもない。
イメージは確かにあるけども、現実はいつも死ぬ。

だから僕はなにか神聖なものにするために出かけることにする。
安っぽい後悔で僕は銅像を立てた。

 

歌詞をそのまま和訳したわけでもなく、解釈を加えていることをご容赦ねがいたい。
いまいち理解できず、「銅像を立てた」というのはゲームでいうトロフィ獲得みたいなもので、「僕は安っぽい後悔をした!」というのを若者っぽく表現いしただけだと思っていた。だとしても、どんな後悔をしているのかさっぱりだった。

 

 

そこではじめに岡島が全体的な話をまとめてくれた。
「お金をとにかく集めろよって歌だろう?労働賛歌的な?」
なるほど、歌詞全体の話は理解できたことにしよう。前半部分のお金稼ぎや都会に出ることの意味はわかる。
では何に対するRegrets(後悔)なのか。

これを受けてだいちが解釈してくれた。
「statue = ある程度の地位。cheap regrets = 本当はやりたくないような事 =仕事?=報酬じゃないか。
都会に出てきてある程度稼げるようになったけど、おれはなにしてんだって我に返ったような」

 

これでまるっとわかったわけだ。



安っぽい後悔(誰もがするような後悔、あるいは心底後悔はしてないけど表面的には後悔)によって銅像(富や名声)を立てた。
なかなか豪華な生活はお金ができたから手に入れられた。
でもその傍らではネガティブなところもあった。欲のためにいろんな犠牲があった。
鏡をみると、僕ももう犠牲を生み出す側に立っていたようだ。
僕はもっと神聖なことのために出かけよう。

 

こういうことだ。

 

 

こうなると、YouTubeのMVの映像もわかってくる。

 

白黒の画面にスーツに身を包んだ男性が都会の大きなビル(会社?)から出てくる。
カフェで一服しながら新聞を読む。
街を歩くと、男の背景には煙の出るマンホールや工場、ぼろい街が映りこむ。男の表情はあくまで柔らかく、真面目そうな顔つきである。

ところが、歌の中盤になると突如男は踊りだし、手に持っていた鞄を川に放り投げる。そこから画面に鮮やかな色が着く。
読んでいる新聞には火がついており、読んでいる風にしながらそのうち地面で燃え上がる新聞を立ち上がって眺める。

エスカレータを逆走しながら踊ったり、さっきまで一服していたカフェで酒飲んで寝込んでいる。
しまいには港で海を背景にジャケットを脱いでパンかお菓子を食べ、友人とケーキを投げ合って顔もどろどろになる。
踊り狂った後の港には残った食べ物の残骸を食べにくる鳥が群れる。そして川に投げ込んだ鞄が一つひっそりと都会の川を流れていく。


労働賛歌とは逆の、風刺的な歌であろう。
お金稼ぎのための生活から、自分の心の欲望に身を任せる。資本主義の世界にはもううんざりだという歌である。

 

 

今となっては反資本主義の歌は珍しくはないだろう。
それを社会的な背景や欲望を素直に書いているのは結構好きなポイントである。
豊かな生活がしたかったからお金を欲したわけだし、名声もほしかった。でも結局得たのは空っぽ。
そして後悔をする。表面的な後悔を伴いながら、仕事(cheap regrets)をする。
神聖なものを求めて出かけようと言う。そしてその後、最後まで"cheap redrets"と"my hands"を何度も繰り返す。

自分の手に残ったのは、cheap regretsだけだったのだ。
踊り狂う男性たち(たぶんバンドのメンバー)は、一時の感情に身を任せて踊っているだけなのだろうか。


もしかすると、最後の川を流れる鞄は彼らの行く末を示しているのかもしれない。都会の中をのんびりと彼らなりのペースで楽しむのか、或いは川底に沈んで二度と太陽を拝むことはないのか。

 

 

そこまで考えてないのかもしれない。なんだっていい。僕はこの曲と雰囲気とMVが偉く気に入ってしまった。
いい出会いがあったもんだね。