〈1216.ええやんについて〉
1月25日。
いざ簡潔な例をば示さん。
文章全てを体言止め。
これぞ日の元、和な文章。
勢いのある青二才、その空気を纏いし文。
簡単な例だけども、ちょっと古風なジャポンな空気があると思う。
この三文はすべて体言止めであり、8・6・7・6・7・5・6・6のリズムにしてみた。
母音と「ん」はあんまりリズムに影響を与えないと考えているので、字余りが多いけど違和感がなさそうだ。
先日、友達とラーメンに行った感想を書いてみてと言われた。
そこでなんとなくかっこよさげだから。体言止めとリズムを守ってみたらほめられた。
うれしかった。そういう話。
。
これが実際のところ和風なのかと言われたらわからない。
なんとなく、ワンピースのワノ国編をイメージしてみたらこういうことになった。
書いてみて、体言止めとリズムがそれっぽくなりそうだと気が付いた。
しかし、読んでみてリズムが良い文章というのは特定のリズムがあるらしい。
5・7・5というのはわかりやすいところだが、3・3・7という拍子もある。
これは日本語特有のリズムだろう。露骨にこのリズムを意識するとそれっぽくなるようだ。
体言止めがそれっぽくなるのは理由がわからない。
和風な文章、がなにを指すのかもあいまいである。
そのためどうやって検索したらいいのかわからない。
僕がまだ知らない「和風な文章」にするための工夫というのはきっとほかにもあると思う。
。
じゃあ、和風な文章の例として最初に思い描いたワンピースのワノ国編の文章。
あれがまねをしていると思われる歌舞伎の文章を探してみたらいいじゃないか。
そしたら理想とするような「和風な文章」が得られそうだ。
こういう風に勉強するのが一番手っ取り早いんじゃないかと思う。
なんとなくかっこつけたり、美しそうにしてみたりして、それがなんでだろうと掘ってみる。
究極的には感情が言語化できなければ、再現性はないわけである。
となると、やっぱり直感的に好きだというのはもったいない気がする。
。
とはいえ、好きをそのまま好きで放置しておくことの良さもあるだろう。
なんでもかんでも言語化してしまうのは、粋ではない。それもわかる。
となると、やっぱり自分の中でどんな欲望が働くかを大事にするといいんじゃないかと思う。
もう一度その感情と出会いたい、他の好きなものを探したいってなったら言語化したいところ。
今のこの感情を大事にしたい、この刹那的な快楽が好き、というならすべきではないだろう。
行き当たりばったりもいいものではあるからね。
欲深く、もう一度!ほかにも!っていうのは無粋ではあるかも。