6月21日。
好きなことと得意なことは同じことはあるかもしれないけど、それはきっと稀だろう。絵を描くのは好きだけど決して上手じゃない。文章書くのは好きだけど何かに評価されたこともない。僕が評価されたことといえば、なんだっけ。きっとそれはあんまり意味がないことだとも思う。
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学部生の頃所属していた英語研究会で英語のスピーチを作った。全国大会で賞状が欲しくて、10大会くらい応募した。結果ほぼ全滅、最後に一つだけ情けで出場はさせてもらえた。
学部4年生から大学院1年末までエッセイやら短編小説やら色んなコンテストに出した。合計10は超えてるだろう、全滅である。
結果をみたら非常に寂しいものだし、今日もまた落選の連絡が来た。仕方のないことだ。好きだけど得意じゃない。
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評価されることを求めて書く文章というのは、それはそれでおもしろい。こういう文章は自分が自分のために書く文章だ。だけど、コンテストとかになると相手が求めるものを自分なりに書こうと思う。「自分なり」というのがまだまだ未熟なんだとも思う。だが、そういう試みは新鮮で楽しい。
楽しいってことは嫌いじゃないんだ。
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これはまだ趣味の域なんだと宣言するようなことだ。相手が欲しいように結果を出すのが仕事なんだ。まだまだ仕事になるレベルじゃない。
でもなんだろうな、仕事にしたいんだけども同時にこのまま楽しくもありたい。いつかたまたま評価されてしまうような幸運があれば、ちゃんとそれに見合うだけの実力はつけておきたい。そんな気持ちだ。
つまり作家として生きていくつもりもさらさらなければ、エッセイストとして有名になりたいわけでもない。いわば趣味として、あるいは副業的な立場で文字とは関わっていきたい。でも、そのためにも実力はつけたいからこれからもコンテストには出し続けるだろう。そんで、コンテストに出す限りはやっぱり賞を取りたいものだ。ダメだったたびに落ち込むのはなかなかしんどいけども、それもそれでいい経験になる。
こうやって10年20年、あるいはもっと先かもしれない。その先の未来で、ようやく面白い文章が書けて、それで世界のどこかで共感してその人を救うような話ができたらそれが最高の幸せだ。
名前も顔も知らない誰かの人生の助けになれるなんて、とてもすばらしいことじゃないか。
それで僕は親友への贖罪にしたい。親友が生きてたなら成し遂げたことの数十分の一かもしれないけども。
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戦闘力73日目
580(+5)
その他+5
落ち着いたらまた墓参りしたい。まだ報告できることもないけども。君が生きていたらきっと良い先輩として後輩指導を始めている頃だろうな。