ホウチガブログ

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〈1255.物語のレベル〉

3月5日。

 

物語(漫画・ゲーム・映画)などなど、フィクションについてなんだかわかってきたことがある。
現実的な路線か、非現実的路線か。そしてそれの作り手の考えとか。
どっちのがつくるのは難しいのだろうか。

 

 

SFのような未来の話や異世界の話。それか、日々の何気ない日常。
それはSF小説と純文学を比べるような話である。

どちらが優れているのかはないだろう。漫画と小説を比べてどちらが優れているか、というのがないように、人によるとしかいいようがない。
ただ、作り手としてはかなり差異があるだろう。

SFであれば、自分がつくりあげた世界を描くので難しくはなさそうだけども、そこに矛盾が生じないようにしなくてはいけないのでそこは慎重にしなくてはならない。
純文学であれば、リアルの世界を参考にしながら描けるけども、ちょっとしたミスがとんでもなくきになってしまう。つまり情報収集にめちゃめちゃ時間がかかる。

難しいポイントがまったくちがってくるようだ。

 

 

ただ、受け取り手のレベルには大きく違いがあるような気がする。
例えば、ジャンプ漫画が小学生から人気なように、明確な敵がいる物語というのはかなり広い層を相手に読まれる。
一方で純文学は非常に難解であり、高校の授業でやっても「正しい」読み取りはなかなかできない。そしてなにより、大人が読んでも難しかったりする。

つまり、現実離れしていればしているほど誰でも読みやすくなり、現実的になればなるほど難しくなるだろうということだ。
異世界のものであれば、知識ゼロで読んでも、全員が知識ゼロなので楽しめる。しかし現実的な話であれば、現実についての経験を積んでいればいるほど楽しめるし、色んな状況に身を置いたほうが読みやすくなる。
そして、そういう難解な物語というのは、同じような物語を読めば読むほど簡単に感じるようになる。

つまり、人生経験と読書経験の双方がなければ楽しめないのが純文学だと考えられる。

 

 

どちらにせよ、つくるためには読者以上に考えなければいけないのは確実だろう。
しかし、若者作者が老人読者を感動させることもある。それは、人生経験を読書経験で代理させたのだろう。
逆に、年をとってから活躍する小説家がいるのは、書きたいレベルに対して人生経験が追いついたということなのだろう。

これは、小説家に関わらず、エンターテイメントのクリエイターであればだれしもそうだろう。
初心者よりもベテランのほうが引き出しが多いだろうし、「なにが面白いのか」については肌感覚よりも理論的に理解しているので再現性がある。

現実的なものをつくるのであれば、たぶんフィクションよりも難しくなるんだろう。
勉強ですね。