京都の友達に会いに行った時のことだ。彼は心配性で、常にどうしたらいいか悩んでいる賢人なのだ。
この前は進路について悩んでいた。
簡単にまとめると、進学か留年かである。
「一般的には進路を決めるべき学年になったけど、まだやりたいことが多いから残りたい。でも…。」
そうなのよねぇ。あたしだってそーよ。
「どちらにせよ良い人生になるかわからない。なにが最高の選択か判断しかねる。進路を進めることは怖いのよなあ。」
その通りだ!怖い!
しかし。
「まあ悩んでるのもなあ。結局俺の実行力がないだけなんよな。とにかくやってみないとダメよな。」
彼自身で答えを見つけてしまったのだ。
おそらく、悩める人の多くはおんなじなんじゃないかな。ぼんやりしていたことを無理やり言葉にすると、その言葉の定義にかっちりはめられてしまう。だからぼやっとがはっきりする。
もちろんこれが悪い場合もある。"楽しい思い出"としてしまうと、その中にある微妙な真面目な感じだったり寂しさだったりが排除されてしまう。
だから僕は口数が多くなっちゃうのよねェ。
そこをがまんしてあえて口にし続けない、というのもひとつのスキルなんだと思う。
ぼんやりしているのはぼんやりさせたままで。
でも苦しい時はことばにしちゃうと、ものの5分で答えは見えてくる。
だからとりあえずことばにしようよ、という話です。ぼんやりの美との共存もしつつね。
音声より文字の方が難しいのよ。場の空気がないから。
それもひっくるめて文字の美しさだと思う。
っていう口数の多さ。
悩ましい。
ついにこのホウチガにもコメントが来た!
やったね。
次は書き手が増えたら嬉しいな。