ホウチガブログ

~方向性の違いでブログ始めることになりました。~

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〈88.もんじゃ的大学の意義〉

久しぶりに日常に戻った。朝起きて、ご飯食べて、ちょっとゆっくりしたらバイト。ここんところ浮かれてたし、ちょうどいいかも。

 

バイトは年の瀬ということでやたらお客さんが来た。年賀状だったり、電池だったり、年末年始の大掃除だったりの準備なのだろう。僕もそろそろ準備しないとなあ。

 

一人暮らしを始めてから4回目の年越し。今年は一人で年を越すつもりだ。じっくり自分と向き合う時間がほしいのだ。大学が終わる。大人としての道を歩み始める準備だ。

 

ということを考えていると大学の意義を僕の中で落ち着かせたくなる。その時の1つのヒントになるのが、これまた不思議なことに去年の今くらいに僕がかんがえていたことだ。

 

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一つ思い出した言葉がある。大学に入学したての僕たちに教授が言っていたわけのわからないアドバイス

大学というのは、金を払って自由を得る不思議な空間。大学生は金を払って自由に考えることができる特権階級。

大学4年間はこれまで生きてきた20年間の振り返り期間として設けられているんじゃないか。後の60年を「よりよく生きる」ために自分を知る期間なのかもしれない。

そう考えると大学の4年間というのはベストなタイミングだし、実によくできたシステムである。逆に言えば、20年を4年間でまとめなければならない激ハードな宿題とも考えられる。「子供は子供でストレスを抱えてんの」と小学生の男の子に言われたことを思い出した。20歳になってようやく考えるキャパシティができたことではじめてできる営みなのだろうか。

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去年の僕はこんなことを考えていた。

 

大学4年間で与えられる不文の宿題として、

「20年間をまとめ、あなたなりに今後の人生をプランニングしなさい」

というのがあるんじゃなかろうか。

 

去年の今くらいはまさに自分が何者かを問い詰めていた。自分とはどこから来てどこへ向かうのか。それがわからず生きていくのは生きていないに等しい。そう考えていた。

 

いまでもある程度この考えは正しいと思う。

ただ、プランニングはしなくてもいいんじゃないか。僕の、あなたのやりたいことを見つけるのが4年間なんじゃないかと。それは大いなる、偉大なる夢を具体化することなのかもしれないし、他愛もない遊びの中から見つけるものなのかもしれない。

 

金が欲しいならそれでいい。愛が欲しいならそれでいい。就きたい仕事があるならそれでいい。

 

ただ、それがなにものにも恐れず、なにものにも気を取られず、満面の笑みで、心底燃えたぎるようなことならなんでもいいと思う。

 

僕はなんとなーく見つけた気がする。それはたぶん、これまでの人生を尽きることなく考えてたから見つけられた気がする。ただ、絶対ではない。ちょっとずつ形は変わるだろう。それもまた人生なのだ。

 

 

ホウチガに足を運んでくれている人がどんな人かはわからない。もし大学生の方ならどんなふうに4年間を認識しているか聞いてみたい。社会人なら社会人なりの解釈を聞いてみたい。ただ、僕の文をここまで読む人はたぶん似たかよったかの意見になるんじゃないかなあ。

 

 

宿題忘れる奴は廊下に立たされちゃうよ。それもまたいい勉強なんだけどね。何が何だかさっぱりだ。

楽しいこと見つけよう。そんな話です。別に全部を全部言語化すべきとは思ってないのよはらみきさん。人生の重大な選択に関わる時は責任持って言語化すべきだけど、好きとか、嫌いとか、いいなあ、なんて言葉はむしろ言語化しちゃダメだ。その曖昧さだけが持てる、いろんな意味が含まれている気持ちが尊いんだから。

 

 

僕のホウチガはまだしばらくは続けさせてもらうんだろうな。この曖昧さの言語化作業がこの場になってるんだな。そういう意味では、ホウチガの文は僕の人生の文なんだろう。ほかの3人もきっとそうなんだ。

 

今日は長いな。ごめんね。