ホウチガブログ

~方向性の違いでブログ始めることになりました。~

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〈165.虚だった話〉

既に12時。ぼんやりと歯を磨く。

再びベッドに横になり、スマホで無意識に調べる。

"〇〇 死亡シーン"

 

気づけばおやつ頃の時間になってしまった。しなければならない手続きをするために、半開きの眼のまま家を出る。

 

すれ違うサラリーマン、学生、主婦。この人たちも生きてるんだな。死んだらどうなるんだろう。もし今ここに無差別殺人でも起きたらどうなるんだろう。

 

手続き関係の忘れ物があって家に帰る。やっぱりベッドに横になり、調べてしまう。

そのうち自分に一つの感覚があることをぼんやりとわかった。

"死は美しい、のでは、ないか?"

 

桜が美しいのは、その根に死体が埋まっているからとかいうじゃないか。いまならはっきりわかる。散るからこそに美しいとも。

 

もし、いまここに刃物があって、そしてもし、殺してもいいと誰かに許可をされたら。俺はちゃんと抗うことができるだろうか…。

 

 

 

近くを通った車のクラクションでハッとした。

俺は何を考えているんだ。そんなこと許されるわけないじゃないか。

 

なぜそんなこと考えていたのかわからない。ただ、すごくおそろしい考え・感覚に支配されていたのはよく覚えている。

 

なんでこんなことを考えたのだろう。

 

間違いなく生活習慣が崩れていた。1日1食、朝になって寝る毎日。

 

タイミングが悪く、精神に"死'の概念が刷り込まれてしまった。先週あたりからゲームでも小説でも映画でも、殺されたり、自害したりする話が多かった。そして、それが重なり、一人暮らしで話し相手もいなければ発散する相手もいない。頭でぐるぐると"死"がさまよっていた。

 

そして今月、親友の命日があった。彼の死をやっぱり受け止めきれず、無意識のうちに美談にしたいのかもしれない。

 

腹一杯にご飯を食べて、仮眠をとって、ちょっと自転車に乗った。すると、今の凡人精神に戻ってこれた。

 

ちゃんと健康的な生活を送り、誰かに心の内を伝えられないと、案外簡単に人間はボロボロと理性のメッキが剥がれるのかもしれない。もしあそこでクラクションが鳴らなかったら…。

 

 

という話。これが本当のことか嘘かはあなた次第。

健康的な生活を送ろうね。