10連休が終わった。残念で仕方ないのだが、ようやく日常に戻るんだなあと安心する部分もある。
残念なのは当然のこと、やっぱり休みというのは続いてほしいものだ。小学校の夏休みみたいにどこまでも無邪気に土弄りしていたい。
しかし、もはや当時みたいに無邪気に遊び続ける心理状態ではいられなくなった。"遊び=仕事"ではなく、"遊び=休暇or逃避"となってしまったのだ。
これはなぜか。ノブレスオブリージュという言葉をご存知だろうか。高校の数学の先生が何度も繰り返し述べていたので忘れられなくなってしまった。
ノブレスオブリージュとは、ウィキペディアによれば
「高貴さは(義務を)強制する」を意味し、一般的に財産、権力、社会的地位の保持には義務が伴うことを指す。
ということである。
じゃあ高貴さってなんだ。デジタル大辞泉は
1 身分・家格などが高く貴いこと。また、そのさま。「高貴の出」「高貴な家柄」
2 人柄などに、気品のあるさま。「高貴な精神の持ち主」
3 値段が高くて貴重なこと。また、そのさま。「高貴な薬」
としている。
つまり「身分が高い、または気品があるもの、または価値があるものは義務を有している。」
ということである。義務というのはウィキペディアでは、財産や権力、地位といったものの維持に必要なことである。
平たく解釈すれば、王様は国民の支持を得続けるためには、ちゃんとした政治を敷かなければならない、ということだ。
これを数学の先生はこう解釈していた。
"あなたたちみたいに将来を担う者は周りを教え導かなければならない。それに理由があるとすれば、そういう役割をあなた方は担う運命にあったということである。〇〇高校へようこそ。"
こんな感じだった。
歴史ある高校だったから適切に背伸びしなさい、ということだったのかもしれない。だけどこれは高校生に向けられた言葉にとどまらないと思う。中学を卒業し、大人に守られない身分を勝ち得た者は誰しも必要な気概なんじゃないかしら。
確か高校の教科書に載っていた丸山真男の話、権利は主張し続けなければ失われる、というのにほぼ等しいだろう。
大人として振る舞うならば、大人として振る舞い続けなければならない。そしてそれを求められている。
今の時代、身分なんてないと信じている。だから個人が自分を自分という特権階級でいることを信じてノブレスオブリージュを果たさなければならない。それは踏ん反り返ることじゃあないのはもうご存知だとは思うんだけどもね。
高貴な者は高貴な者の振る舞いをせよ、ということだ。
だから高貴な私は休暇が終わり、学生身分を全うできるから安心するのだよ。フハハ。
嗚呼。はやく土日来ないかな。