〈1169.ノブレスオブリージュ?〉
12月9日。
昨日のバイトとは逆で、現実でかなり厳しい人を見てきた。
若干力仕事の現場に派遣として入ると、18歳の女子がいた。話をしてみると、高校を中退してバイト生活をしているとか。
特になにかしたいこともなく、とりあえず収入を得られれば良しとか。
10代でそれはあまりにも早すぎる。しかし、理由があるんだろう。
僕はあまりにも知らないことが多いし、僕にとっての普通はまったく普通じゃない。それを思い知った。
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派遣のバイト先で一緒になる人はこれまで知ることのなかった世界の人が多い。
歌手を目指す人もいれば、他に仕事がないのでこれで「生き延びている」という人、親との関係が悪いので表立ってバイトをしたくない人、格安物件に移り住んできた海外の人、歌舞伎町で生活をする人などなど。
昨日のバイトの人みたいに、熱く夢を語ってくれる人はいない。
生きる意味とかやりたいこととかそういう余裕がなく、日々とりあえずご飯を食べ、お金を得ている。
仕方のないことなのだろう。僕は恵まれていたことを認識させられる。
知った者の義務とかいうフランス語があったと思う。
なんともおごった考え方だとは思うが、この概念を思い出してしまった。
多分気づかないだけでこれまで話してきた友達にも同じような奴がいるだろう。そういう僕と親しくしてくれた人も楽しく生きてほしい。
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せめて僕の身近にいる人で、親しくしてくれた人で、楽しく生きていけていない人はいなくあってほしい。
そのためには力がいるし、お金も必要である。
だがそれだけじゃあないと思う。直接的に救うことは一時的な救済と同じである。
アフリカ研究でよく議題に上げられていた。「釣った魚を渡すか、釣り糸と竿と先生を渡すか」
物質的な援助か、技術的な援助かという話である。
これはわかりやすいし、多くの援助団体が選択したのは後者である。教育によって努力する方法を教えるというのだ。
これに沿って考えれば、僕が助けたい人を見た時には、楽しくなる方法を教えることだと思う。
だが、そうじゃあないとも同時に思っているのだ。
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まあそこから先の話はいいや。小っ恥ずかしくなってきたのでやめる。
そう、ノブレスオブリージュ(noblesse oblige)である。「高貴さは義務を強制する」だそうな。
僕は高貴ではないけども、義務ほど固いものでもないけども、なにか果たしたいとは思っている。
いつかの未来の人のために?