合理的でロックな破壊行為
この書き出しを書いているいま、これから何を書こうとしているのかまるでわからない。
とにかく文書をかいてみると、何か浮かぶのだろうと見切り発車でケータイを開いたのだ。
だか、そう簡単に人様に見せるような面白いことは見つからないようだ。
手元に目を落とすと、一冊の自己啓発本に鉛筆が挟まっている。
本の隅にメモしながら読書をするということを最近始めたのだが、インプットとアウトプットが同時に行えるので、なるほど効果的なのかもしれない
さて、これまでの文脈と関係のない話を今から2つしよう。
1つ、僕の思考に連続性がないということだ。
つまり、集中して物事を一定の時間考えることができない。そして、前後の関係を考慮して話を組み立てることをしない。
自分の頭の中では、思考が線ではなく点線のように飛び飛びになっている。自己啓発本の中身を共有しようとしていたところに小腹が空いたことが割り込んでくるのだ。そうして、目の前にある小説が目に入って、自己啓発本のことも腹が空いていることもどうでも良くなってくるのだ。
2つ、目の前にある小説を思い出したこと
先ほども言った通り目の前には小説がある。オレンジの背広には黒のインクで「深夜特急」と小さく記された本がポツポツと並んでいる。沢木耕太郎氏が書いた深夜特急シリーズだ。
有名な本なので説明するのも野暮だが、この本は作者が渡り歩いた数々の国と地域と旅について書かれてあるバックパッカーのバイブルと呼ばれる小説だ。
移動が多い旅には必要最低限のモノでよい。
筆者は無駄なモノを出来るだけ手持ちから捨てた。
旅先のガイドブックもそうだ。
筆者は訪れた地域のガイドブックのページを次から次に破り捨てて、バックを軽くするのである。
ふいにいまこのガイドブックを破り捨てる行為を思い出したのである。
この行為自体が非常に合理的で、それでいてロックでカッコいいと読んだ当初思ったのだ。それをまた思い出している。
なるほど自分が惹かれる行為に芯が見えてきた気がするぞ。
合理的で、破壊的で、切なさを感じる行為。
それも、この行為が顔を出すのは100回に1回程度でいい。それがカッコいいのだ
なんだかヤバいものに惹かれてはいないだろうか。
大丈夫か、自分