おいだいちくんよ。オーストラリア連日投稿はどうした!
心配なのだぞい。
というのも、毎日800字程度書く、というのはこの怠惰な私でさえできることなのだが、だからこそサボりたくなるものなのだ。800字とか1000字程度…、と思う一方、だからこそサボっても問題ないんじゃないか。
つまりそのサボり心が勝ってしまうほど疲れているのではないか、はたまた危うい環境にいるんじゃないか。という心配だ。
実はこの指標は私自身にも向けているものでもあり、リアルで会える人にも適応できたりする。
簡単な話、授業をサボるという行為がそうだ。私もしょっちゅうサボっているのでなんとも言えないが、このサボるという行為は、そのサボり対象に勝るなにかが登場した時に発生する。
これが、他の授業とか旅行とかならそれほど心配ではないのだが、それが眠気とか疲労感ならなおさら心配である。
そういう初期微動とでも言えるだろうか、そういう時に適切に対処をとらなければ後になって、大きく地震が発生してしまう。すると、多くの時間と心理的負担が襲いかかってくる。
とはいえ、外からの心配というのは余計なお世話であり、お節介だ。余計相手の心理的負担が大きくなるだけだ。
だけども、心配する・されるというのもひとつ大事な相互行為であり、されて負担になる一方、安心感も生み出すんじゃないかな。
一人暮らし始めてすぐのころ、しょっちゅう実家から連絡があった。やれ水道だの、やれ朝起きてるかだの、心配ご無用というのも面倒だった。しかし、それほど気にかけてくれるのも唯一の親だからであり、帰る場所があるんだろうなと、無意識下に安心感があったのかもしれない。
という意味でも、無駄なことでも有意義なことが世の中にはたくさんあるんじゃないかしら。
例えばこの毎日の800字も無駄なんだろうけど、世界広しということで、どこかでなにかの役に立っているのかもしれない。そういう淡い希望が私を支えてたりする。