10月25日。
僕のいまの目的は研究だ。そこを履き間違えないことだぞ。俺。
大学からお金をいただいて「研究渡航」で3ヶ月を滞在させてもらうわけです。
しかし、言語ができないわけでして、僕がしようと思っている研究はできないのです。だから今回はセネガル慣れすることと言語獲得が3ヶ月の目的になっているのです。
こっちにも日本人はちらほらいて、みんなそれぞれの目的があって生きている。生計を立てる人も、旅行の人も、フランス語獲得も、人生経験も。
そんな中にいると、僕の目的はなんだったろうか。霞んでくるのです。
僕は彼に比べてフランス語ができない。フランス語を一流にしなくていいの?
彼はツテをたくさん作って商売の情報をたくさん持っている。おんなじように情報を集めなくていいの?
特に最近はフランス語教室に通っているので、言語習得が最大目的なように思ってくるわけです。
言語の沼は深いぞ。それにハマると抜けなくなる。そこそこ喋れても完璧になるのは程遠い。それが言葉じゃあ。
そうなると、不安ばかりが押し寄せてくるわけで。あれもこれも。しなくていいのか、しないとまずいんじゃないか。
心配性な僕はその場で足踏みをし始めようとしてしまう。
そんな時に必要なのが遠く遠くにある夢目標なのだ!
それが見えれば「進みたい」道を踏み外すことはない。
もちろんそれが正解じゃあない。
情報は多いに越したことはない。どんな道を歩んでも、公道でも高速道路でもまわり道でも近道でも、それは等しく道なんだ!
だけども、僕には到達したい丘はある。そのためには丘に通じている道を歩みたいのだ。「どの道でも素晴らしい!」その時期は僕は終えたのだ。
大学院の目的は論文を書いて、修士号をいただくことだ。
そしてそのために、今回と次回の渡航では情報を収集することだ。
そんでもって、今回の渡航では言葉と土地勘を養うのが目的なのだ。
そしてそれは「大学院」という限られた場における目的であり、「人生」の目的ではない。夢でもない。目標でもない。
それを踏み外すなよ。
足元ばかり見ていたら、いつのまにか迷子になるぞ。迷子も良い経験ではあるさ。
僕には迷子になってる時間はないんだ!