〈396.二分法考〉
10月29日。
"世の中には2種類の人類がいる。"
これは二分法を説く命題だ。
"二分法はおかしい。"
これは二分法の命題だと思う。
というのも、二分法を"おかしい""おかしくない"でわけている命題だから。二分法の誤りを示す命題自体が二分法になってるっぽい。
ミイラ取りのミイラってやつだ。
正誤を命題にしていると二分法になるのかしら。
二分法を避けるためには
"二分法はおかしい気もするけどそうでもないかもしれない。"
と言うのが正しいのだろう。
。。。
なんでこんな小難しい話をしようかと言うと、僕自身が二分法を好まないのによく持ち出そうとするから。そしてよく話をしてて持ち出されてくるから。
話をしてて、噛み合わなくなる。または聞いてくれない。僕のフランス語とかウォロフ語が下手だから。
そんなとき、僕はこう思う。
"こいつ話聞こうとしないな。こっちは努力してんのによ。嫌いだ!"
だけど、しばらく経って落ち着くとこうなる。
"でもあそこで話す時間を作ってくれたってことはいい奴だな。"
話し相手になりかけた奴に対してぼくは、「好き」レッテルと「嫌い」レッテルのどちらが正しいのかを考えている。
そうすることで、僕が次回取るべき態度がわかってくるし、今後の付き合い方も考えられるから。
。。。
ここで僕の中でたどり着いた考えとして、それもまたありなんじゃないかと思う。
例えば僕が「嫌い」レッテルをたかし君に貼り付けたとしよう。
たかし君は僕に挨拶をしない。礼儀のない奴だ。だから嫌いだ。
次回会うとき、嫌いなのでこちらからは声をかけないとする。
A
そこで実際にたかし君が極悪人(ホントにいるかは置いといて)だったとしたら声をかけなくて正解だ。僕に何か害をもたらすリスクを避けたのだから。
B
しかし、たかし君はいい奴だったとしよう。
B1
もしたかし君が僕に声をかけてきて仲良くなったら、僕は「嫌い」レッテルを剥がして「好き」レッテルを貼るだろう。仲間が増えてよかったね。
B2
もしたかし君が話しかけなかったとしよう。すると僕とたかし君は永遠に仲良くなることはなく、交わることはない。たかし君はいい奴だけど。
。。。
レッテルを貼る行為は良くないとされる。偏見でしかないし、差別だと判断できる。
確かに。一瞥しただけで人間の中身なんてわからない。そんな時は
"二分法はおかしい気もするけどそうでもない気がする"とすれば良い。
だけど広い世の中、未知数のリスクが大量にある。そんなとき、Aの場面みたいに本当に極悪人だったときのリスク回避をレッテルはしてくれる。
もちろんB2のときみたいに、機会損失が大きくなる可能性もある。
これをどう思うかは自由だと思う。
僕は、B2でたかし君が本当に良い奴だったとしても仲良くならなかったのは、そういう運命だとして諦めるのが吉なんじゃないかと思う。
Aの可能性がある時点でB1の道を自ら積極的に選ぶ勇気は僕にはない。
というよりも、良い奴で仲良くなれるんだったら「嫌い」レッテルを貼ったとしても余裕で乗り越えてくれるのが本当に仲良い奴だと思っている。
。。。
ということで、僕は二分法が好きではないけども結果的に救われてることもあるから、あっても良いものだと判断することにした。ただ、これはただの世渡りにおける必要性であって、研究とか議論の場で二分法を持ち出すのは危ないよね。
いわゆる正義を問う場面では二分法は怪しい。
視野を狭めるんだから。偏見の助長になりかねない。
その「嫌い」には「好き」が隠れているってコトさ。
。。。
とか考えてみたけど、これまでの経験を"それは二分法だ""これは二分法じゃない"と分けているだけで二分法を使っているじゃないか。
この分けたがりめ。ミイラになってるぞ。
。。。
なんでこんな話をするかって?
セネガルが「嫌い」になったからサ!