一年前の今日、京都に引っ越した。
そんな今日という日が、アルバイト最終日だった。最終日に新人指導するとはよくわからないことだったけど。しかもその子、高校一年生でバレエ極めるために一人暮らしだって。コンビニって客も店員も不思議な人が多いね。
おもしろかったけど退屈だった、ようやく足枷が取れた。
深夜2時。バイト終わりに研究室に来ることもなくなるだろう。"みんな"みたいに日中がんばるんだ。
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バイトは一年ちょっと足りないくらい続けたわけだ。途中3ヶ月アフリカにいたわけだけど、思い入れはほぼない。はずなのになにかこう、最後は切なさを感じてしまった。
たぶん、死ぬまでこのコンビニに来ることはないんだろうな。こんな週に4日も5日も来ることになっていたのに。
続けるっていうのはそういうことなんだろう。
何もないところに意味を見出してしまう。意味を見出して、思いがこもってしまう。そして別れの時にもったいないかしら、そう思ってしまう。
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続けることで言えば、誰しも共通で続けていることがあるね。
生きることだ。生きることから別れの時ってのは死ぬ時だ。流石に死ぬ時に、生きるのをやめるのはもったいないかしら、なんて思わないかもしれない。意思を持って死ぬ人は別としてだけども。
だとしても、続けることには思いがこもってしまうものだろう。それが生きることならば怨霊とか昔の人は表現するんだろうけど、現世に対する思いみたいなものを感じたから、死んだ人の思いに対して怨霊って言葉を与えたんだろうな。
よくわかんないこと言ってんな。
まあ生きてるだけでも思いは誰かしらに届いているんだろうな。それがどういうのかはその人の生き様次第だろうけども。
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今日もまたよくわからない文章を僕は積み上げている。そこに思いがあるかは定かではないけども、僕は読み返して楽しい。
一年前の今日、京都に来たときはそんな気持ちだったのか。そう公表しちゃうのか。
日記と違って公表してるわけだからね、若干ビビりながら書いてみている。はたしてこれがどういう結果をもたらすかはわからない。
ようやく488。でもまだ488。引くに引けなくなっちゃった。
これが10000になったらどんな境地に達しているだろう。楽しみである。27年かかるらしいけども。