昨日の予定を急遽変更して書き残さないといけないことができてしまった。
かつてお世話していただいた方がお亡くなりになった。コロナウイルスに罹患していたらしい。残念でならない。
申し訳ないが、整理するために今日の分は使わせてもらう。
ここではその方のことを先生と呼ぶことにする。
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僕が大学二年生の時に、大学に特別講師としていらっしゃったのがご縁のはじまりだった。日本の政治や国際関係の最前線でご活躍をなさったこともあり、非常に理知的な方であった。それでいて、とにかく義理人情に厚い方だった。
いつかあんな大人になりたい。理想だった。
インターンをさせてもらったのは何年前だろうか。先生が主力として動かしていたシンクタンクに2週間ほどお邪魔させていただいた。
お仕事中は非常に理論的であり、僕ともう一人のインターン生に「社会人として学ぶ」という姿勢を見て聞いて学ばせてくれた。直接厳しいお言葉で激励してくれることもあれば、お昼ご飯を食べる時には群馬の話をすると興味を持って聞いてくださった。興味関心があることにはどこまでも尋ね続けるという、年に合わないくらい好奇心溢れる方だった。
歳をとっても、学び続けるというのは恥ずかしいことなんかじゃない。むしろあるべき姿なんだ。彼の姿は深く刻み付けられた。
インターン以外では、大学に定期的にご講演にいらっしゃってくださった。
行くと必ず学生の話に熱心に耳を傾けてくださった。先生が話をすると、短い言葉でずっしりと重い言葉を与えてくださった。
もっと真面目にきいておけばよかった。まだまだ先があるとか思ってしまっていた。
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石光真清という人物の著作を教えてくださった。戦中の軍人として、いまでいうところのスパイ活動をしていた。著作「城下の人」は自身の人生を、非常にリアルに描いた。
その作品を先生は、学生の間に読むといいでしょうと勧めてくださった。実際、この本ほど心打たれる自伝的な本を読んだことはない。
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インターンの最終日、忙しい予定の中で飲み屋に誘ってくださった。そこではインターン外での僕ら学生の生活を聞いてくださったり、逆に外交官としての経験を教えてくださった。
そしてなにより、どこまでも気配りをする誠実なお方だった。青二才の私にでさえもビールやご飯の追加をしてくださったり終電より余裕を持って帰らせてくださったり、秘書の方をむしろ気遣っていたり。至る所で大人の見本でいてくださった。テレビなどでコメントをする際にも、対立した時にも必ず相手を尊重した後に自論を出していた。
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先生は理想の賢者だった。
こんな表現は正しくないけど、やっぱりここで亡くなる人じゃなかった。そう思ってしまう。
大学を卒業して、もう会うことはないと思ってはいたが、なにかひとつくらいお手紙や会話の一つくらい、あるいはご講演の一つくらいあるような気がしてしまった。
残念でならない。
いま手元には、先生が「欲しいならあげようか」と僕にくれたオフィスにあった置き物がある。
先生が教えてくださったこと、経験させていただいたこと。僕らができることはそれをもとに現場に向かうことだろうか。
どうか安らかに。
意志を引き継ぐ、なんていう器はないけども、先生にご縁があった者として恥のない人生を送りたい。