6月5日。
昨日の話では、人格は会話しながら常に構築され続けるということだった。
それはつまり、自分の人格は流され続けるということと解釈もできる。
実際そうだろう。私はこうなりたいという思いがあったとしても、それとは裏腹に世の中は進んでいく。
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ジョブスだったか誰だったか忘れたが、有名な話がある。ご存じの人も多いだろう。
親しい人5人を思い浮かべる。その平均点が自分の姿だということだ。
結局親しい人、つまり絶対的に割いている時間が多い人とのコミュニケーションで自分の人格は形成されるということだ。
自分という形に、他人がたくさん流れ込んできて、その集合体として自分があるわけだ。
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しかしながら、このジョブスだったろう、言いたいことはそういうことじゃない。
親しくする人をコントロールすれば、理想的な人間にも、落ちぶれることも自由自在だということだ。
滅多にあうことができない素晴らしく面白い人。その人と必死にコネクションをつくって話をできるようになれば、いつのまにか自分もその仲間入りだということ。
たしかに仲良くできる人たちに自分は流されるけども、その仲良くする人はコントロールができる。
そういった意味では自分はコントロール可能だということだ。
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使う言葉っていうのは、何者だと思うか、何者だと見せたいか、という心と直接的に結び付けられる。帰属したい集団の言語を獲得する、ということだ。
この言語っていうのは、日本語とかもあるけども、それ以上に専門用語が当てはまるだろう。
電子系に進みたければ、電子系の言葉に詳しくなるのが必然。それと同じで、なりたい人や帰属したい集団の言葉を得たければ、なによりもまずその集団と距離を縮める努力をすることだ。
今の時代はすばらしい。憧れの有名人の言葉をすぐに触れることができる。本より雑誌より生きた言葉が身近にある。SNSとYouTube。うまく活用すれば、擬似的に集団に属することもできるでな。
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戦闘力57日目
469(+5)
勉強+2
その他+3
酒盗チーズがこの世で一番うまいものだと知った夜でした。