7月23日。
絶対的な話じゃないけど、小さい頃の親の教育っていうのが今でも響いている瞬間を時々感じる。良くも悪くも、息子なんだなあと思う。
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親父はそれほど本を読む人ではないけど、変な本を持っているイメージがある。母親は小説をよく読んでいた。だからといって私が本を読んだかといえばそうではなく、ゲームどっぷりだった。でも、読書という行為をしない人間は大人にはなれないと理解していた。
大学入っても本を読むことは稀だった。それでもやることのない週末にはなんともなしに本屋に行って、棚を見るのが幸せだった。
大学院に入ってから真面目に読むようになった。大人にならなきゃあかんぞ、そう思うと読まずにはいられない。親の教育の賜物である。
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そしてもうひとつ、大事なポイントがある。昔から、ゲームカセットひとつ買うためには通知表を良いものにしなくちゃいけなかったけど、本だけはすぐにでも買ってくれた。どんな本でもすぐに。どんなものでも、本を読むことに悪いことはない、というように考えていたのだろう。
その環境で育ったので、本は買いたくなったら買っておけ、というような習性ができた。なので、大学学部生のころの週末はもちろん、いまでも本屋に行くとなにも買わないで出てくるのはよっぽどの理由がある時だ。ふつう毎度なにかしら買って出てくることになってしまっている。今買わないで損するより、買った損なら許せる。
その結果、先日もらった奨学金を大量に使い込む羽目になった。やっぱり後悔はないんだけども。
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もちろん、これは親が考えて決めていた習慣だと言い切ることはできない。僕が勝手に身につけた、僕自身の習慣だ、親を巻き込むな。そう考える時もあるだろう。特に都合の悪い習慣のときには親の責任を追及したくなる。
だけども、良い習慣なら親のおかげだと考えても誰も損がない。実際この習慣については親の影響が多大にあるだろうし。
そろそろ僕らの世代も親になってくる。友人のひとりはこどもを初散歩に連れて出たらしい。
責任を持つとなると、考えなくちゃならない。子供が大人になったときに喜ぶ習慣ってなんだろな。
マグレでもいいから、結果的に良い習慣を身につけたいね。
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戦闘力105日目
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本はいいぞ。スポーツもいいぞ。