ホウチガブログ

~方向性の違いでブログ始めることになりました。~

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〈1387.金と幸福と老化〉

7月15日。


久しぶりに本屋に行った。
特に買いたい本があったわけではないけれど、並んでいる表紙を眺めるだけでもいい気分である。
最初は表紙を眺めて、面白そうだ、こんな話もあるのかと楽しいものだが、しばらく歩いていると、気になる話も出てくる。
そうやって買ってみたい衝動に駆られて、手に取ってぱらぱらとめくり、棚に戻すものが大半なわけだが、大きな本屋であれば棚に戻すのが惜しくなってくる。手元に置いておきたい。
そこで、裏表紙の値段を見て、溜息をつく。さすがに2500円は高い。今回はやめておこう、と。
そういう時に、金持ちになって、金が理由で行動を制限されないようになりたいと思う。欲しい本はいつでも買えるようになって、手元にいくらでもおいておけるようになりたい。


しかし、それが本当に幸せなのかしら。



小学生の頃はお小遣いに制限があって、買いたいものも買えなかった。基本我慢の繰り返し。
その中で、ようやく手に入れた漫画・ゲーム。それのありがたみというのはとてつもないものだった。
コロコロコミックに連載されてたようなカービィの単行本やケロロDQ3ゲームボーイカラー版やポケモンルビサファ鏡の大迷宮。ここらへんは骨の髄までしゃぶりつくした。
希少価値が高い存在だったので、ひたすらに遊び倒したものだ。
つまり、制限がある中でなんとか手に入れたものにこそ価値があって、ありがたみがあって、幸福度があがるんじゃなかろうか。
スポーツでいうところのハングリー精神とか、そういう思い続けたものが実った瞬間の快楽は計り知れない。


だから簡単に手に入るものに価値はそれほどなくて、手に入れたいと願い続けてようやく手に入ったほうが価値があって、より幸せになれるんじゃないかという話。
金持ちになればそこの障害がなくなりストレスフリーになる分、ありがたみがなくなっていくんじゃないだろうか。
ご飯だって、高価な金属だって、すぐに手に入るものに価値はない。ポテチになり下がる。



ただ、当時と違って、歳を取るというのは比較対象を多く知るということでもある。
手に入らないのであれば、別のもので代用しようと、子供のころに感じていた唯一性はなくなっていく。
そのため、購入して手に入るものの価値は、子供のころとは比較にならないほど下がるのだろう。
どうしても欲しい、でも手に入らない、というのは大人になるにつれて、いや経済力がつくにつれて物質的なものではなくなり、概念的なものになっていくと考えられる。
権力、友人関係、知名度、愛など。


なるほど、そう考えると、値段を気にして本を買わないということは、間違いなくストレスではあり、ようやく手に入れれば幸せかもしれない。ただ、昔みたいな快楽は手に入らないだろう。



非常に単純な話であろう。
歳を取れば幸せのハードルはどんどんあがっていき、同じ条件でも昔は感じられた幸福が感じられなくなる。
逆に考えると、これからの人生で今が一番若いので、どんどん幸せのハードルがあがっていき、今が一番ハードルが低いということでもある。
そう考えると、ほしいものが欲しい時に手に入ろうが、我慢して手に入れようが、いつかはそれで幸せを感じられないということになる。じゃあせっかくだもの、幸せになれる今のうちに手に入れられればうれしいわね。
ただ、そこで多少の我慢をしてみると、スパイスみたいにちょっとだけもっとしあわせになれるのかもしれないな。