9月7日。
最近極道ものの作品を見ている。巻き舌したり、その業界の用語を使ったり。そして筋を通すことが第一。
攻撃的な行動は好きではないけども、その仁義を第一にするのはかっこいいと思う。そりゃあファンがいるのもわかるし、海外で評価される映画があるのもわかる。
まあ僕が知ってるのは、映画とかゲームとか漫画とか、フィクションの中でしかないんだけども。
実際のところどうなんだろう。取材とかはきっとあるんだろうけど、どこまでが本当なんだろう。けじめをつけるために小指をつめるものなのか。警察にも内通者がいるのか。裏切り者は警察に捕まっても牢屋の中で鉄砲玉に命狙われるのだろうか。
どこまで本当かはわからない。けど仮にフィクションであってもよーく作られている社会があるもんだ。もっと現実は仁義っていうあいまいなものの縛りは弱いのかもしれない。いやもっと強いものなのかもしれない。真実は経験している人しか知らない。それでいいんだろう。
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物語について、これは本当のことですかという質問ほど粋じゃないものはない。一発芸の解説を求めるようなもので、肌で感じたものを信じるのがよろしい。
ノンフィクションと銘打たれたものが、どこまで事実なのかはわからない。カメラが回っていれば、インタビュアーがそこにいれば、多少なりとも生活が日常とは異なってくるのは当たり前だ。
でも、その情報は他では得られないものが多い。だからこそ、その真実性は置いといて面白いものとして消費される。
何事もそんなものでいいんだと思う。
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テニスの審判で、コートの線の上はインの判定が下される。ちょっとでもかすっていればインだ。しかし、大きな大会でない限りは基本的にセルフジャッジということで、プレイヤー自身が審判する。
その時、第三者でインに判定されたとしても、プレイヤー自身がアウトだと判定したら基本的には覆らない。そういう嘘をついてごまかすことをイモルという。語源はわからないけど。
しかし、イモル奴にとってはインのボールでもアウトに見えてしまうのだ。自分が見たい情報しか見ないように人間はできている。
基本的にこれは仕方ない。けどマナーを守らないやつはイモラーとして嫌われ、社会的に殺される。
テニスじゃなくても、基本的にその人のジャッジは敬意を払われるべきだ。しかし、あまりにも酷ければ自然と社会的に消されることになる。イモル行為の末路は自分自身の首を絞めるだけなんだろうさ。
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戦闘力151日目
1046(+2)
その他+2
フィクションはフィクションだからこそいい。ノンフィクションはノンフィクションだからこそいい。けどその境界を曖昧にするのはそれはそれでいいけど、その境界ばかり気にしていたら楽しいものも楽しくなくなっちゃう。
趣味でやるテニスの時はたとえイモラーでも寛容であることが楽しみの秘訣なのです。