〈965.ツバメの生存戦略〉
5月19日。
実家の玄関付近にはツバメが巣を作っている。僕が小学生の頃にはすでに巣が作られるようになっていたので最低でも20年くらいは毎年いると思われる。
今はまだ小さいあかちゃんと親鳥だけど来週にはきっと大きくなって飛ぶ練習を始めるのだろう。
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今年は親鳥が巣を作り始めてから見守ることができたけど、なかなか大変なもんだ。
今年は蛇が出た。巣がある壁をノロノロと登っているのを見かけて、母親が撃退していた。
カラスもいる。スズメもいる。カラス・スズメは捕食はしないだろうけど、なぜかツバメの巣を破壊していく。数年前はそれで卵が割れてしまったとか親が話していた。縄張り争いだろうか。やはり家で赤ん坊から成長を眺めることになるツバメの肩を持つことになってしまう。
しかし蛇も、たぶんカラスやスズメも自然の弱肉強食のなかで頑張って生きているんだろうから人間が可愛いからという理由で邪魔するのは不適切かもしれない。
しかし結局人間と共生できる生物の肩を持ってしまう。
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感情としてはやっぱりツバメを応援したい。巣を作り始めれば今年も来てくれたのねとうれしくなる。巣立つ時はなんだかさみしくなる。家にいるというだけで仲間のような気がしてしまうもの。
しかし理性的にはどの肩も持たない方がいいのかもしれないと思う。僕が蛇を追っ払うのは利害のない感情的な出来事である。その行為は自然の摂理に反しているような気がするのであんまり深く立ち入らない方がいいのではと。
でもそうやって人間に保護されることもツバメの生存戦略にあるのなら蛇を追い払うのは自然に沿った行動である。
結局のところこの行動は自然かどうかと考えている時点で自然な行動ではなくなっているということかもしれない。
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自然と人間の関係とは何かよくわからなくなってくる。
米を育てるのは人間の食物だからと考えられるけども、狩猟採集のときのほうが安定的だったとかいう研究もある。米の生存戦略のために人間は育てさせられているということだ。
人間が戦略的にとか感情的に、という行動すらも実は自然の支配の下の可能性はどこまでも拭いきれない。ツバメを保護したいと思っているだけかもしれないし、思わせられているのかもしれない。
もうわかんないから、蛇とかカラスとかスズメよりツバメの方が好きだから、これからも守ることになるんだと思う。