7月4日。
友人にかなりお世話になった。
なんでこいつはこんなに尽くしてくれるのかわけがわからないくらいお世話をしてくれた。
僕はそういうのができない適当な性格をしているので、なんともすごいように思える。なぜそんなに人のために頑張れるのか。
自己犠牲とまでは言わないけども、自分の時間を割いているわけだもんね。すごいね。
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人に時間を割くときは、自分に利益が見込める時に限られてくると思う。
その利益というのは、もちろん金銭的な利益はあるけど感情的な利益とか自己実現とかそういうのもあるだろう。
なにもない虚無についても、なにかしら意味付けすると思う。休憩のためとか。そういう肯定できる理由をつけることで、行動の決断を納得させていると思う。
この意味付けと納得による行動決定の話からすると、友人は僕と過ごすことに肯定的な理由をおき納得していることになる。
楽しい・うれしい・必要などなどがあるだろう。昔からの友人というのはなんともありがたい。
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じゃあ逆になんで、僕はそんなに時間をかけずに適当にしてしまうのか。
一つは、そういう利益がどうとか計算するからだろうか。友人と過ごすことの意味を問うてしまうからだろうか。
いやそんなことはない。友人と過ごすことについて、単純に楽しみでわくわくしていた。
となると、どうやって友人と会うことの楽しみや計画性とかがめんどくささに勝つ日がくるのかということを考えるといい。
個人的に遊ぶならノープランで良いだろうと思ってしまう。しかし、当然そうなると行こうと思った店が閉じていたり、既に引っ越していたりなんてことも珍しくない。
つまり、単純に将来を見据える能力が低いということだ。計画性がない。
もう一つは、友達を大事にすることを恥ずかしく思ってしまうなんともダサい心意気だろう。
これは治したほうが良いだろうな。恥ずかしく思うな。どうやってよ。
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とにかく、今回の経験で優しくされることの楽しさを知った。
次にホストをすることがあったらきちんと優しく計画しようと思う。
実体験というのも大事ですね。