9月17日。
ふと、ネパールに行っていたことを思い出した。
知り合いのツテで行ったので、ほとんど地図を見ることがなかった。
果たして僕は本当にネパールに行っていたのでしょうか。
たぶん誰しも一度は考えたことがあるんじゃないかしら。中学くらいの時に、ここは本当に日本なのかとか。証拠はどこなんだ。
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中学の時に都市伝説が流行っていた。朝の20分読書の時間にはそういう類の本を読んでいる奴が少なくとも5人はいた。そういうやつから本を借りるまわし読みにはたぶん10人とかそれくらいだったと思う。
いわゆる陰謀論とかに繋がるような現実的でないような説ばかりだけど、当時の我々にとっては新しい世界の見方を知ったようで楽しかった。
そういう時に思春期やら反抗期の我々である。全てに対して疑問を持ったり、あるいは武力反抗するやつもいた。
僕と数人の穏便な陰な者は、いわゆる哲学的な方向で反抗期を迎えたと記憶している。
ここは本当に群馬なのか。誰かにそう言われてるだけで、看板とかも誰かが我々をハメようとして嘘をつかれているんじゃないか。我々を観察する組織あるいは神的な存在にとってのおもちゃにすぎないんじゃないか。
考えたところで仕方ないんだけども。考えずにはいられなかった。
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僕が遊びに行ったのはネパールだった。地図アプリを数回開いたけど、確かに地図上で知っているネパールの位置にいた。
しかし、仮にハッキングされてたらわからない。飛行機が実は違うところに着陸していたとして、空港も街も、実は全てハリボテだったみたいなオチだったとしたら。
そうだったとしたら、一般人の僕を陥れる理由がない。だからそんなことはない。と考えるほかない。実際そうだろうし。
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僕が政界のドンだったり、裏社会に出入りするような人間だったらあるかもしれないわね。残念ながら、というかありがたいことに、そういう人間になるような人生ではないので、そんな映画的展開はなく墓に埋もれることができるだろう。
なんで都市伝説があんなに流行ったんだろう。
平たく見えていた世界が、ちょっとだけ立体的に見えたからかもしれない。立体的というのは、意味がなさそうなものにも意味があることを見出すような感覚のことで。
楽しいけども、ほどほどにしたほうがいいでしょう。そのほとんどが現実の誤読なんだろうからね。