ホウチガブログ

~方向性の違いでブログ始めることになりました。~

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〈1139.良い自己認知の日〉

11月9日。

 

今日は良い自己認知の日だった。

 

最近になって分かったこと。
予定通り、計画通りに物事が進まなくなると不機嫌になるという僕の性格。
そんな生きてる限り予定通りに進むほうが珍しいだにねえ。
しかしこれに気づいただけ良かったと思う。謎の不機嫌、不満足は大抵これに帰するところが多いということが知れた。となれば、計画を建て直せば良いだけだし、自分が悪くないこともある。
気づけるというのは一つ大きなポイントなんだろう。

 

 

無知の知という言葉があるのはご存じだろう。自分が○○について知らなかった、と認識することが知ることの始まりであるということであってるかしら。逆に言えば、知らないということに気づいていない(知らないことを知らない)というのは問題が発生していないということで、一番の問題である。


バカは風邪をひかない、というのも近いと思う。バカ者は風邪がどういうものかを知らないから、一般人が風邪と認識する状態でも風邪だとは考えることができない、ということである。
勉強すると、全てのことがこれの繰り返しであると認識させられる。

 

 

例えば、最近話題のSDGsに関して、ある店Aが何か取り組んでいるとする。
SDGsについてまったく知らない佐藤さんであれば、ほとんどの情報を聞き流し、そもそも情報だとは認識できない。雑音であり、虫の声や葉のこすれる音のような環境音と同じである。それを、SDGsを知っている山本さんが聞けば、面白い取り組みをする店だと感心させられたり、そういう戦略をわが社でも取り組もうと考えることができる。
その後、佐藤さんと山本さんがSDGsについて話をする。
山本「Aって店はSDGsを意識して、○○という取り組みをしているね。良いことだと思うし、我々も取り組むべきだろう」
佐藤「SDGsって何よ。」
この会話以降、佐藤さんもSDGsについて知ることができたので、次に店Aに行ったときには山本さんが気づいていた情報に気づくことができる。

 

 

この例で言えば、運よく佐藤さんはSDGsという概念を手に入れることができたが、山本さんと話す機会がなければその後も店Aに行っても何も気づかない。さらに店Bもなにか取り組んでいても気づかない。


無知であるというのはもったいないことである。アンテナの感度を上げることが知ることである、と言い換えることもできるが、たくさん知ることでいろんな情報を集められる人間は強いぞな。

 

これがSDGsという知らなくてもまあ生きていけることだから良いけども、仮に命に関わることだったらどうだ。
「傷口が汚れてしまったら破傷風になる可能性がある」というのを知らずにどぶ川に飛び込めば、とんでもない病気にかかってしまうかもしれない。

「お金を借りたら利子を付けて返さなければならない」というのを知らずに借金し続けたら社会的に厳しい状況に追い込まれる。

知ること(気づくこと)というのは、究極的には生命を守ることにもなるし、もっと軽い問題だったとしても不幸を回避する手段にもなる。

 

 

計画通りに進まなくてイライラする、という自分の特徴を知ることができたら、逆にイライラし始めたら計画を立て直せば良し、というメンタルの安定方法を身につけることができた。
この特徴に気づいたのは、なぜ今イライラしているのか、と風呂で自分と対話する時間があったからこそである。


つまり、きちんと問いを立てられるようになれば、色んな気づきが得られるということだ。気づけば問題として解決のために対策を立てられる。

無知の知、というのはとてつもなく大事なことなんですな。