〈1165.友達をつくるということ〉
12月5日。
高校の友人と飯に行った。昼から焼肉っちゅうのは初めてだった。なかなかいいもんだね。
友人も元気そうでよかった。
酒は飲まずとも、十二分に楽しい時間だった。知らない世界も知れたし、元気な友人も見れてなによりである。
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そいつは医者になった。いまは研修医としていろんな科をまわっているらしい。
前回会ったのは1年とか2年前になる。当時とは違う将来を描いていた。よりリアルな生活を送っているからだろう。
想像よりも激務であるらしい。専門の違いでわからないことも多いらしい。僕がセネガルのことは理解できても、ザンビアのことはわからないようなものだろう。
結局人は人なのである。神ではなく、全知全能でもない。全てに対してその視点は必要なんだろうな。
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こういう話は医者になった友人がいなければわからないことであった。
なんとなくお医者様に診てもらえば、なんだって治してくれるんじゃないかと思ってしまう。人間だもの、そんなわけない。
わからない、というより想像できない。理解できても、実体を持たないイメージで消えてしまう。
そういう意味でも、友人は多くいた方がいいだろうな。知らない世界をどんどん示してくれる。そして、僕の話を嬉々として聞いてくれる。
友人は必要ないという意見もあるけれど、やっぱりあるに越したことないよ。むしろそういう視点を得られるのは友人だからこそである。友人がいなければ、どんどん視野の狭い、独りよがりな人間になってしまうよ。
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その友人は東京住まいでテニスクラブに通っているそうな。おじさん達に囲まれて、のんびりテニスをしているらしい。
社会人一年目で収入も得られて、生活に慣れてくるとできてくるのだろう。
僕もしばらくは我慢して、来年の今くらいには生活に慣れてきているんじゃなかろうか。そしたら、また友人を誘ってテニスをしてもよし、ご飯に行ってもよしである。
そしたらまた、知らない世界の話を聞きたいものよ。今聞いた話も、一年後に聞けばまた違う解釈をするだろう。
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友人と仲良くするのはいいことだ。いっぱい作るのもいいけど、深い話ができるくらいの親密さをつくるのが大事だろうさ。
ついでにオイシャサマなら奢ってくれるかも知れないし!次はお高い店に行って、全額出してもらいましょうかね。