12月16日。
僕が小学生の頃の話。飼い犬の老犬もまだ赤ん坊の頃。
男の子の我が犬は、散歩中のおしっこで片足を上げたことがなかった。筋肉が発達するとできるようになるとか。
片足おしっこを心待ちにしていることを親戚に話をすると、母親が「私と散歩に行く時には片足上げる時もある」と言ってきた。
当時の僕は片足おしっこを楽しみにしすぎていたのだろう、「そんなことない!」とムキになった。
親戚がいなくなったところで、僕は怒られた。
「ママしか知らないことを否定するな。自分の話だけ真実だと思うな。」
当然のことだけども、これ結構見落としていたりするものだ。
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自分の知っていることと、他の人が知っていること、世間一般が認識していることが全然違うということもすくなくない。
人の言うことや行動なんかは特にそうだ。
斎藤さんはAと言った、ということも、佐々木さんは聞いたから知っているけれど山本ちゃんは何も聞いてない、なんてことはよくある。
それで山本ちゃんは「斎藤さんはAだと主張するはずがない」と思っていると佐々木さんがいくら言っても理解できないこともある。
現代特有の話で言えば、アプリのアップデートもそうだ。新しい機能の搭載や、意外と知られてない機能について、無知であればそれの便利さを言う佐々木さんの言うことは疑わしい。
疑わしいで済めばいいけど、そこから佐々木はミーハーであるといううがった見方が定着してしまうかもしれない。
相手のことを疑う前に自分が無知であると常に意識すべきである。
それができない時には、自分の愚かなプライドと相手への不信感があるということだろう。
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赤ん坊の飼い犬については自分が一番知っているというプライドがあったからこそ、僕の知らないことを言う母に敵対心を抱いた。
これが小学生だったからいいけども、いいおっさんがやってたりするし、先日はバイト先の21歳がこういう態度をとったこともある。
自分は全知全能のゼウスではないぞと、ことあるごとに思い出してほしい。あくまで主観世界でしか世界のことは知らないわけだし、そんな世界についての情報すら全て見聞きしているわけでもない。
プライドは良いものだけど、無駄なプライドは生きにくくするだけだぞ。
そんな犬も食わないプライドは土に埋めてくれ。
我が家の犬はそんなものは食べないし、穴掘りもしないから大丈夫だぞ。