ホウチガブログ

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〈1341.岡島について〉

5月30日。


29日のプロについて考えた時、ふとある人間の顔が浮かぶ。
岡島である。
彼はうるさいし、プライドがあるのかないのかよくわからない不思議人間である。
1カ月しか滞在してないくせに、アメリカが故郷だとか言い出すし、ぶっちゃけあほである。


ただ、彼はホウチガ4人の中で、一番プロに近い人間であるように思う。
というか僕の知り合いの中で、プロらしい奴というのは彼だけかもしれない。
自分の行動に誇りがあるヤツ、というと聞こえが良いけど、勘違いしているともいえるかもしれないね。
とにかく岡島はスゴイ奴である。



岡島は建築・バスケ・デザインの話になると無限に引き出しがある(ように思わせることができる)。
それは偏に彼自身の誇りによるものである。自分が好きなこと、時間をかけているを堂々と話ができる。


この能力がある人は実は少ないように思える。
例えば、僕自身テニスについては一般人を遥かに凌駕する知識を持っているとは思うが、上には上がいることを重々承知している。
だからテニスの話をするときも「○〇だと思う」「○○なことが多い」という逃げの姿勢が常にある。


岡島にこれはない。「○○やねん」「今回は○〇やな」という断定表現を使う。もちろん、断定している事象について例外がないわけではない。ありまくりなところもある。
しかし、彼が有している情報の中で自信がある内容をきちんと自信を持って言えるというのは、素晴らしい能力だと思う。
使い方を間違えれば、ただの勘違い野郎になるわけだが。そういう意味でも、彼はプロ・カリスマの卵だろうなと思う。



プロというのは、そういう例外のことも全て背負える人間なのだろう。
もちろん意見をいうと批判も来るだろう。そのことを想定して断定表現を避けることもある。
しかし、カリスマがある人間はことごとく断定表現を用いる。言葉に強さが現れる。


それが良い時もあるし、良くないときもある。ただ、そういう人間は希少だからこそ人がついていくのだろう。
僕にはその強さはない。断定をするのは自分を卑下する時くらいである。
ただ、そればかりしている人間にはついていこうとは思えないだろう。
責任を背負ってくれる人間(カリスマ)にこそ、人はついていきたいと思う。


岡島はそんなところまで考えたうえでの断定表現ではないのでアホである。
しかし、それは彼のギフトであろう。天性の才能である。恐れがない。強い人間である。
そういう揺るがない彼がいるのはインタビューでもひしひしと感じたし、遊んでいる最中でもウザいくらいに感じる。
安定感が一番ある人間だ。



彼が将来なにのプロになるのかはわからないが、確実になにかを背負ってくれる人間になる。確信がある。
そんな彼が、例えばアフリカの話とか、テニスの話とか、ゲームの話とか、そういう話題になった時に私を頼ってくれるような。
カリスマではなく、カリスマの側近として求められる振る舞いができるような、いわゆるB面の人材を目指すのが私の生き方だろう。


しかし、人を動かす立場で仕事をしたいなあとも思う。全責任を負って、作品を作り上げたい。
となると、僕が今、参考にするべき人間は画面の向こうのすごい人ではなくて、アホな岡島なのかもしれない。
悔しいが、そうだろう。


岡島はすごいんだぞ。