〈1277.25歳〉
3月27日。
誕生日。25歳。今日からアラサーの仲間入りである。
プレゼント。唯一好きなブランド。ティンバーランドの上着。なんだか大人になってしまったなあ。
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先日、旧友と温泉旅館に泊まっているときに、ふとこんな話になった。
「何歳から何歳の誕生日が一番変化があるような気がしたか。」
友人は23歳から24歳とか言ってた気がする。理由はぼんやり忘れてしまったけれど、おとなになってしまったような感じだと言っていたかな。
その時の僕は、16歳から17歳だと答えた。ドラクエの主人公しかり、冒険に出かける物語の主人公は16だという思い込みがある。それをついに超えてしまったと、大人びた気持ちになった。
25歳になった今、間違いなく今日という日がこれまでで一番意味のある日である気がしてしまう。
それは、数日後に学生から社会人になるという時期的なものもあるだろう。
アラサーという「ややおじ」への壁が目に見えて近づいているというのもある。
やっぱり心のどこかで「みんなから遅れているのが、やっと追いつく」という一種の安堵があるようだ。
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きわめて早生まれな僕は、幼稚園では一番小さく、小学校でも常に前のほうの背の順だった。
4月うまれの奴とは約一年の差があって、体格も違う。低学年までは成長の遅さもあったらしい。
高学年になってようやくおいついて、でもテニスの大会では早生まれが一つ下の年齢階級に出ることになる。やっぱり少し「遅れている」。
高校を卒業してテニスを辞めて、みんなと同じになった。
大学院に行き、みんな20代の集合になった。30代の先輩もいて、むしろ若いのが良い身分になった。
だが、就活を始めてみると、20から22歳の人ばかりである。中には専門学校の人もいる。中高の旧友は社会に出て働いている。
周りが「社会人」というステータスを手に入れているなか、ぼくはのんびり「学生」をやっている。やっぱり遅れているようだ。
早生まれというのは生まれつきだからどうしようもないけれど、大学院でのんびり過ごして遅れるのは自己責任である。これでよいと思う自分と、まわりより成長が遅いことを焦る自分とがいる。
それが追いつく25歳。私にとっては大きな成長、というか時間経過である。
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大事な20代をどう過ごすのか。よく話題になる。
確かに、若干の気後れのようなものを感じる人もいるだろうけど、大学院も決して悪くはなかったぞ。
ちょっと年を取った新人だからこその視点というのも得られただろう。
友人は、大事な20代になにもない時間がなかったのはもったいなかったと話していた。
もし、大学生の人が院進か就職かで迷っていたら。
どうせならたっぷり考える時間をもらえる大学院というのも一つだという。
お金の問題はもちろんあるけれど。それでも必要な時間だろう。
今年も健康に年を取れて良かったな。
まだ死ぬわけにはいかんぞな。