〈1287.最大限の報復〉
4月6日。
少し前に某表彰式の時に、司会をビンタした俳優の話が大きく取り上げられていた。
その俳優の奥さんの外見を用いてのジョークに対する怒りによる行動だった。
いろんな意見が飛び交っていたし、結局ビンタした俳優が前面謝罪したけれど。
個人的な意見もメモとして残しておこう。
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まず、ことの発端となったジョークについて。
奥さんの外見を使ったジョーク。アウトだろう。
ああいうジョークは教室ならぶっちゃけ見たことがある。地震が起きれば太っちょが震源地と言われ、ビデオ鑑賞の授業でおばちゃんが出てくれば特定の女子が指さされる。
そしてもう今の時代じゃあ完全に「いじめ」である。そしてそのいじめというのは犯罪である。
人権侵害だと言われてもおかしくない時代になった。
いじめというのは加害者が何と言おうと、被害者がいじめだといえば成立する。
今回でいえば、教室という物理的に閉じられた空間とは違い、放送されている。なにより表彰の直前の話だろう?
そんなめでたい席でそんなに危ないジョークを言ってどうするんだ。
じゃあ、ここで発言者側の立場を考えておこう。
コメディアンである。面白いことの一つや二つ言って盛り上げるのが仕事である。
そこで、物理的特徴というのはジョークとして用いやすい。そしてその対象とは以前から顔見知りな関係なわけだろう。
それなら危ういジョークでも受け入れてくれるだろう。そう踏み切ったんだろう。
そしてもう一つ言わなければならないのは、会場の空気である。
ジョークで受けたんだもの。映像で見ても笑っている男も確認できた。
これは学校のいじめでいう観衆の存在である。直接的に肯定してなくても、行動でいじめを助長する存在である。
これは非常によろしくない空間だった。
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では、この空間をビンタという暴力が成立するかと言われればもちろんNOだ。
特に怒りに任せての行動を肯定するわけにはいかない。もし肯定してしまえば、例外とはいえ暴力を容認したことになってしまう。
そしたら、いじめられたと判定が出れば暴力で解決してよい、という前例を作ることになる。憧れる俳優がそんなことをしてしまえば大問題である。
じゃあ司法にいけばいいかと言われれば。なんとも。
あれで犯罪だと認めるのか、それを認めさせるのが正解かわからない。前例をつくるという意味では法廷で戦うのも一つかもしれないが。
あの空間を止めることはできない。
どうしたものか。
Twitterでその解答を見つけた。「ボケをつぶす」のだ。
あの空間において、問題発言をしたのはコメディアンである。
芸人のなにが一番苦しいかというと、すべることである。すべってしまえば次の仕事に大きな影響が出るのは当然だし、存在価値が否定される。
どうすればあの空気を一瞬で凍らせることができるか。
SNSで見つけた解答は、「解説させる」というものだった。
「あなたは今、○○と言いましたが、それはどういう意味ですか?なにとなにをかけたジョークなのですか?それのなにが面白いのですか?」
これは世紀の大発見だろう。
例のコメディアンは解説をしなければならない。「君の奥さんが○○に似ているだろう?」「どこがですか?」「○○の部分がだよ」「それのなにが面白いのですか」
地獄になる。人を馬鹿にして笑ったことを自分で振り返らなくてはならないのだから。それがボケとして通じていないのだから。
京都人が良く使う皮肉に似ている気がする。本当に言いたいこと(怒りの言葉、嘲笑の言葉)を隠して、丁寧にほめる。
本心を隠して、冷静に相手の状況を認識指せる言葉を突き付ける。
想像するだけでも恐ろしい。
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しかしあの場でとっさにそんな思考のもと行動できるわけなかろう。
大事な人間を笑いものにされ、会場でも笑われ、表情をみれば曇った顔をしている。
私は舞台上で殴る勇気はないけれど、縁を切るだろう。途中離席するだろう。
そんなネタのダシにされ、ビンタをしたら謝罪しなければならない。
個人的にはコメディアン側が謝罪しろと思うが。会場で笑っていた人間も謝罪しろと思うが。
とにかく解決方法で暴力を否定できるようにはありたい。
同時に相手が最大限嫌がる方法を見つけるのは柔軟さという意味では重要だ。
難しいけれど、人間だもの、それをしていかなくちゃいけない。