ホウチガブログ

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〈1314.アニメカービィと教養〉

5月3日。

 

カービィはゲームをしたことがない人でも、一度は見たことがあるだろう。
まんまるピンクで無限に吸い込む不思議な奴。
1992年に最初のゲームが発売されているので、30周年である。
僕がはじめてプレイしたのは不朽の名作「カービィのエアライド」だ。


そんな長い歴史のあるカービィの、ちょっと異色な存在にアニメのカービィがある。
2001年から2003年に放送されていたらしい。僕は幼稚園から小学校低学年くらいなので明確には覚えてない。でもリアルタイムでの楽しみにしていたこととオープニング・エンディングはよく覚えている。
そしてなかなか話も面白い。今見ても他には例がない不思議なアニメだ。



基本的には、カービィプププランドにやってきた魔獣をやっつける話である。
そのプププランドの住民とカービィが仲よく戯れているわけだが、そのプププランドの王様であるデデデ大王カービィのことを敵対視している。ということで、悪の組織から魔獣を買って、カービィと戦わせて、、、という一国としてはなかなかよくわからない構造である。


なので、悪のデデデ大王とその魔獣たちをカービィがやっつける話、という認識でいいだろう。実際幼稚園児の僕はそう認識していた。
見せ場はカービィが魔獣の一部を吸い込んで、能力をコピーして、新しい姿を見せるシーンである。そこで力を得て、強い魔獣をドーンである。
なんともわかりやすい。


だが、Wikipediaでアニメカービィのジャンルを見てほしい。
「ブラックコメディ」と書かれているのだ。



ある日、プププランドの住民たちにデデデ大王からテレビが与えられた。
最初は娯楽として喜んでいた住民だが、ニュースで魔獣の登場が放送されると怯え始める。
「魔獣がプププランドに攻めてきている!目的はカービィだ!カービィを追い出せ!」
そして住民たちはカービィを追い出そうと躍起になるが、肝心の魔獣はどこにもいない。
すべてデデデ大王のたくらみであり、カービィ達に見つけられて大失敗、というオチである。
「みんなテレビの情報を鵜呑みにして、自分の目で確かめないんだ!」
カービィの世話役のヒロインがそう嘆くシーンがある。今の我々にも迫る言葉である。


別の日。
強欲なデデデ大王は村はずれにある森を切り倒してしまう。
そして個人利用のためのゴルフ場をつくろうというのだ。
結局、森の番人ウィスピーウッズの力で、完成したゴルフ場は壊され、森は回復する。
「環境破壊は気持ち良いゾイ!」デデデはそういってチェーンソーで木々をなぎ倒していった。


一見ただの悪役としての動きだが、それはなかなかの風刺であったりすることが多い。
色んな作品のオマージュもしており、黒沢映画のワンシーンをデデデがやったりするようなこともある。
子供はかわいいカービィとアホなデデデを楽しみに、大人はそういうブラックジョークを楽しみにできた数少ないアニメである。



そういうアニメが大人でなぜ楽しめるのかと言われれば、「教養」が一種の重要なポイントになる。
大人で楽しめない人というのは、当然黒沢映画を知らない人だったり、社会問題に興味がない人であろう。そういう人は、おそらくただの子供向けアニメであるとしか受け取れない。
せっかく面白いネタをたくさん仕込んである作品なのに、教養がないだけでなんにも感じなくなるのだ。


教養がある、というのはそもそもそういうためにあるものだ。
子供ではわからないネタを笑えるためには、一定の知識や読解力が必要だ。オマージュが面白いのはまさにそれである。知っていれば、作り手が私と同じようなファンなのだろうと感じ、それの解釈・表現として作品を楽しめる。
教養があることは、決してビジネスで有利にすることが目的ではないはずだ。面白いものを面白いと感じたいから、人の話を聞いて、本を読んで、理解しようとする動きだったはずだ。



学校で勉強する意味、というのはそういうところにもあるだろう。
古典を読んで、そのオマージュが現代のどれなのか。それを知った時の感動は計り知れない。世界史で学んだネタが漫画で出てきたら楽しくて仕方ない。
そういうすべての根源が学校で学ぶことだ。
教養は必要だとか、不必要だとか、ビジネスで有利不利とか、そういう難しい話ではなくて。
面白い・楽しいと思える範囲を広げることが学ぶことの根源にあるところだ。


子供が学ぶ理由がわからないと言ったら、アニメカービィを見せればよかろう。
そして、いくつネタがわかったか、それをどれだけ深堀できるか。それが学ぶことの面白さの最初の種になると信じている。