6月13日。
また映画を見に行った。一昨日あたりに見たのと同じFGOのやつ。前回は就活のイベント終わりだったので心に余裕がなくて理解しきれないところが多くあった。それでも感動したんだから、ちゃんと理解できたらあたしはどうなっちゃうんだろう。
前橋の映画館まで車で約1時間。帰りの1時間は無音でシーンを回想するほかなかった。いやあ、うらやましいぜ。まったく。
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Fateシリーズは選ばれた魔術師とその使い魔(サーヴァント)による殺し合いである。殺し合いの末に手に入れる聖杯によって願いがかなえられるという。その願いの背景にあるいろんなダークな部分が最大の魅力だと思っている。
それがFGOでは同じように使い魔を用いて聖杯を求める点は変わらないけども、人間の歴史が無理やり変えられてしまって未来が消えてしまったのを取り戻すというタイムトリップ的な戦いの話になっている。
しかし、そこでもやっぱり修正組と改変組の背景があり、歴史・伝説をモデルにしているサーヴァントにも背景がある。その描き方がやっぱり好きなのよ。
今回の映画も世界観を知っている人が理解できる話なわけだけど、話の作り方が良いのよね。いろんな伏線はもちろん、人の背景の描き方が特に良い。
企画段階でどういう話の仕方をしているのか知りたいわ。
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もともとは18禁のゲームだけど、やっぱりもともとの話の作り方が上手いんだね。FGOじゃあ18禁要素はなくなって単純に冒険譚として面白い。まあテレビCMを母親が見るとなんで女の子がこんなに胸が大きいんだと怒っているんだけども。
前に読んだ本でシナリオを担当している人は中学校時代からSFを読みまくったりなんだりで自分も書くようになってたらしいね。そのあと、仕事をしたけどその傍らでシナリオを書いて、途中で同志から生活費を出すからシナリオに集中しろということで仕事をやめたそうな。
好きっていうのは恐ろしいね。リスクマネジメントができなくなるもの。良い意味でね。正義感じゃなくて、欲求だからこそしつづけちゃうんだろう。だからこそ上手くなるんだろう。
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この好きという感情がなかなか見つかりにくいんじゃないかしらね。惰性の欲求じゃない「好き」というのは本当に尊いだろう。主体性とか積極性って言葉になるのかもしれない。
だからこそ「好きなものは既に知ってしまっている」ということなのかもしれない。
つまり、自分と対話する孤独な時間が必要だということかしら。
運命と出会うためには問い続けることだということでいいですかね。