5月14日。
同居人が旅行に行ってしまったので一人暮らしになった。
ひさしぶりに一人暮らしである。静かだ。
一人暮らしだと、いろんなところをやりっぱなしにしていたことを思い出す。
掃除もしないし、食器も洗わない。服もぐちゃぐちゃ、ゴミも溜まる。
なるほど、そういう細かいところを自然に気を遣える環境は人と住むからこそできるものかもしれない。
そしてそういう環境を整えているからこそ、メンタルが健康でいれるっぽいようだ。
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5月も中旬に入り、仕事(研修)にも慣れてきて、五月病が今か今かとやってくるような気がしていた。
ただ、例年と違って、五月病がやってきそうだなと、五月病を危険対象として認識できている。
五月病になるときは、知らず知らずに体に入り込んでくるから、対象として認識できなくなってくるのだ。
これができるのは、ヤベェ状態を知っているからであり、そうならないためにも掃除とか健康とかに気をつけようと思うからだ。
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そう考えることができるのは、同居人の健康を考えるからだ。
汚い部屋で過ごせば喧嘩しやすくなるような気がする。外に出なければ肥満になる。朝きちんと起きなければ不満が溜まる。
そういう日々の細かいマイナス要素を出来る限り排除しようと思うのは、自分ではなく人のためだからだ。
それを認識できたのは、突然2年ぶりの一人暮らしが始まったからだ。
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一人になって、早速食器を洗うのを後回しにし始めた。すると、食生活にも乱れが出てくる。
外に出るのも面倒になる。
ただ、ラッキーなことに仕事が忙しい時期である。起きてから寝るまでずっと仕事に追われているため、メンタルが崩れる暇もなかった。
これは不健康な健康維持である。長続きはしない短距離走である。
じきに同居人は帰ってくるので、それまでの短距離走だ。だからこそ、そういう崩れた生活でも五月病にはなっていない。
同居人が帰ってきて、清潔と健康を意識するようになったら、また長距離走向けな正しい生活を送ることができる。
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一人暮らしは自由で最高である。
ただ、塞ぎ込むときも苦しむ自由が与えられてしまう。
二人暮らしは、傍からみたら自由の制限があるかもしれない。相手に気を使うことにもなっているかもしれない。
ただ、だからこそ得られるリターンも大きい生活が送れる。
ありがたいことである。