5月15日。
秋葉原に行った。いつ行ってもカオスで変な町だ。
同期の誘いで、変な町の、さらに変なところに行った。
レトロゲーセン。昭和の時代に輝いた筐体たちがいまも動き続けている不思議な場所。
今回は企画を考えるのための勉強をさせてもらおうとやってきたわけである。
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インベーダーゲームのような典型的なシューティングもあるし、格ゲーに全力を捧げている中年のおっさんもいた。一人二人ではなく、道狭しと並んでいるところもあった。
今でも根強いファンがいる不思議な世界。
僕はいくつかのシューティングと掘削ゲームをやった。
別のゲーセンにはもっと古いものがあって、バイク型やコックピット型の体感型アクションゲーム、タイピングゲーム、ゾンビシューティングなどなど。
いまではもう見なくなったものもあるし、逆に今を輝くゲームの原型があったり。なかなかに感動だった。
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何が勉強になったのか。正直よくわからないところが多い。
しかし、どれもキャッチーで、素通りはできないものばかりだった。皮を変えただけのゲームももちろんあるけれど、目を引くための特徴があったり。
激動のゲーセン筐体戦争で名を残してきたゲームだからこそ、いまでも遊ぶ人がいるのだろう。
それがどんなキャッチーさがあったのか、どんな特徴があったのか。言語化は難しいけれど、今後考えていくことの良い材料になった。
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ゲームを実物のリアルで見るというのは変えがたい経験だ。
今だとネットの中でゲームの面白さを判定する。それはつまり、一つの作品に対してかける時間がどんどん少なくなり、場合によってはプレイしなくてもよくなったりしている。
一つのコンテンツに対してかける時間も短くなり、商品紹介のページには1000件のヒットが現れる。
それとは違って、リアルで眺めるというのは、一つに対する時間感覚が全く違う。プレイしない筐体に対しても、短くても5秒くらいは見てしまう。
そのネットの一瞥とリアルの一瞥では頭の使い方が違う。
ネットでは、自らの欲望に響くかどうかで無意識で判定されるが、リアルでは何が面白いのか想像させられる。
企画を考える時のアイデアが欲しいときには、リアルでゲームを眺めるのがよさそうだ。
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自分の家の中でゲームの良し悪しを考えても仕方ない。
それより、人の目があって、実際にプレイしている人がどんなところに力をこめているのかを見る方がよっぽど勉強になる。
人が面白いと感じるものを考えるときに、自分の感覚だけでは心もとない。
人の感覚をみて、言語化する作業が必要だと思いました。