実家に長くいると、大学入学前までの記憶をよく思い出す。
今日は親友だったTの話をしよう。たぶんこれからも時々出てくると思う。とりあえず、太郎君、としておこう。
彼は背が低く、童顔だった。いつも笑っているから表情筋も柔らかく、優しい顔つきをしていた。なんでもそつなくこなし、運動は僕よりできた。しかし、器用貧乏な奴で、全体的にAクラスだけどA+ではないような奴。
勉強とテニスだけは太郎に勝ることができたが、社交性だったり思いやりだったりは彼のが圧倒的にある。だから親友ではあるもののちょっと劣等感を感じ、僕がいじって彼が困ったりツッコんだりすることで仲良くさせてもらっていた。太郎は優しいからそんな俺も許してくれたし、親友だと思ってくれてた、と信じたい。
馴れ初めは小学校だった。隣の小学校の太郎だったけど、同い年の姉を持つため何度か会う機会があった。でもその時はお互い恥ずかしがって親の後ろに隠れてチラチラ見合ってた。
中学で一気に仲良くなったが、高校は別だった。ライバル校で部活だとしょっちゅう試合があった。彼はレギュラーではなかったため、試合会場には学ランで来て応援していた。一応僕はレギュラーだったから太郎からしたら相手校の選手なのだが、いつもにこやかに近づいて来て、
「今日もうちの学校と当たるけど、どっちの応援もできないよ」
なんていちいち報告してくれた。俺はハイハイ、と適当にあしらっていたが。
最後の試合の時は俺の応援してくれてたなぁ。別れ際に珍しく一緒に写真も撮ったな。
高3の夏、たまたまTと同じ塾に通っていた。自習室で時々隣り合って勉強もした。俺は変わらず不躾な態度で適当にあしらっていたが、彼の優しさに甘えていた。彼が優しすぎた。
ここまで振り返ったが、全て過去形なのだ。最近の話やこれからの話はひとつもできない。
悲しいかな。良い奴ほど人生が短いのだ。受験が終わった直後、彼は突発性の不調に襲われ、僕が気づかぬうちに去ってしまった。1日もなかった。
彼は優しすぎた。その優しさに甘え、一度も感謝を伝えられなかった。照れ臭くて嫌だった。彼の前ではカッコイイ俺、でありたかった。誕生日プレゼントに可愛いカエルの人形をくれた時もそんなに伝えなかった。
彼が今もいたとしたら、就職が決まっていたろう。おそらくいいお父さんになり、幸せな家庭を築けたに違いない。一緒に酒を酌み交わしたり、自分たちの息子や娘の話をしてみたかった。
おそらく死ぬまで仲良くあるような、そんな奴だった。
そんな彼の葬儀の時、友人Kは読み上げた。
"君の分まで、いろんな景色を見て生きようと思う。"
そのKもまた賢い奴だから、きっと彼はTの分まで生きると思う。
ただ、僕は僕の人生に必死すぎて彼の分まで生きてやろうとは思えないし、横暴な気がして。
だから、俺が俺なりに頑張って、成果を出せた時に、Tがいたからここまで来れた、っていう報告を伝えることでTが生きてた証明をしたい。
基本逃げ腰で弱気な私だが、これだけは強く思い続けなければならないし、思い続けたい。
少しさみしい話だったが、僕がこのホウチガを立ち上げようと思った一因に彼の存在もあるのでネ。素直に感謝を伝えたり、思いを伝える一助にホウチガもなれたらいいな。