ホウチガブログ

~方向性の違いでブログ始めることになりました。~

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〈79.運命について〉

 

今日は名古屋まで来た。これから大阪に帰るが、なかなかいい1日だった。

 

目的は、共同企画の方でも書いたが、惚れたおじさんの話を聞くためだ。だから観光はできなかった。最後に味噌カツ食べれたから全てマル。

 

おじさんの話を聞くのは、一応就活みたいな形式の相談会のようなものだ。就職をすぐにはしないが、早いに越したことはないだろう。色々情報を仕入れようと一応頑張ってるのよ。はやく仕事したいし。

 

おじさんに会ったのは先週の大阪での相談会だった。なかなか面白い話を聞くことができた。それに誘ってくれたのは大学の先輩だ。

 

その先輩と仲良くなったのは英語研究会。英語研究会は厳しくも楽しい3年間を過ごせた。研究会に入ったのは、大学をうろついていたら声をかけられ、断れずに説明会だけ行ったことがきっかけだ。

 

そんな研究会がある大学。立命館に決めたのは、ぶっちゃけノリだ。志願届けを出す直前の三者面談で、関西に行ってみたいっていったら担任がこんなんあるぞーってことで受けた。

 

すべてはノリなのだ。ぶっちゃけ今思うとよく怖がらなかったなあと思う。その時、大事にしてたことに則って行動したら、いつのまにかこんな面白い人たちに囲まれて幸せになれている。

 

 

今朝、名古屋までの3時間の電車の中で小説を読んでいた。ファンタジーな世界の旅する話だ。主人公は村出身の純粋な青年だが、旅を通していろんな人、場所を訪れ、時には運命に翻弄されながらたくましく成長していく。

 

小説の中では、ダイナミックに人生が変わっていく様をみれる。すると、運命という言葉がまさに存在するかに思える。それもそのはず。主人公の運命は作者によって握られているのだから。

 

じゃあ僕たちはどうなんだろう。運命なんて言葉は敗者が言い訳に使うものだ、なんてかっこいい言葉がある。

果たしてそうなのだろうか。

 

僕が大学を決めたのも、大学院を決定したのも、テニスに熱中したのも、そして今、電車に揺られて大阪に帰るのも、すべて説明がつくのだろうか。僕はできない。昔だいちがバタフライエフェクトについて話をしていたが、運命というのもその1つだと思う。あらかじめ決められていた、なんてつまんないことを言いたくはない。が、予定通り、計画通りに進めている進路、キャリアもその後ろでとてつもない大きな力で社会は動いている。まるで作者が意図して作り上げているかのように。まるでそれが運命であるかのように。

 

事実は小説より奇なり。

神様でもいて、面白くなるように我々を導くかのように。きっと今日の僕も、誰かの人生の登場人物になっているのだろう。それが町人Aなのかもしれないし、名前が与えられた青年なのかもしれない。

 

運命なんてあるかないか、そんなのどうでもいいさ。あなたが思うならきっとその通りでしょう。

 

ただ、昔から思っているのは、いつかの僕が、後悔した僕が今の人生をやり直してるんじゃないかって。運命を変えます!っていう聖王もいるようにね。ゲームのしすぎかな。

 

別に誰かの人生に影響を与えるために生きているわけじゃない。でも気づかぬうちに与えているものなんだろうな。ホウチガもそんなふうにええかっこしいしてみたいじゃない!いつかこれを見返したらお墓を掘りたくなるかも。