"ブリコラージュ"という言葉がある。
ウィキペディア先生によれば、
「寄せ集めて自分で作る」「ものを自分で修繕する」こと。「器用仕事」とも訳される。元来はフランス語で、「繕う」「ごまかす」を意味するフランス語の動詞 "bricoler" に由来する。
ということだ。
つまり、ズボンに穴が開いたからアップリケで可愛くした、みたいなことなんだろう。いらなくなった服をいくつか使って小物入れ作ってみた、などもそうかもしれない。
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昨日の卒業式で、晴れて教職免許をいただいた。なので資格欄に一つ埋めるものができてよかったね。
そういう話じゃなくて、教職の授業の話だ。
"勉強する意義とは"
という質問。学校に行く、とかではなく、そういうのもひっくるめて勉強する意義について。
"なんで勉強しなくちゃいけないの?"
反抗期に抱いた問いである。僕は反抗期が来なかったのでそんなこと考えちゃいませんでしたが。
今の私は胸を張って答えられる。
"ブリコラージュするための、材料を多く仕入れるためよ。"
なにごともその場の知識をツギハギで人間は生活を営んでいるんじゃないかなぁ。
学術的な話で言えば、先行研究と先行研究をつなぎ合わせて自分の仮説を組み立ててみて、実験するときにも、前例とかを参考にフィールドワークに挑む。
日常生活で言えば、このまえハンバーグ作るときにみたクックパッドだとどうもパサパサするから、こねるところだけ母親の知識を使ってみよう。とか。
だけど、これのためには多くの前例を見て、先行研究を見て、知識を貯めておく必要がある。いろんな料理を試してみて、幅広い技術を学ぶ必要がある。もちろんその中には全く使われない知識・技術もある。
その中には、学校で学ぶことがある。サインコサインなんて今の私の生活で、ちょっとでも出てきたことはない。だけども、それこそブリコラージュの仕方を数学の時間に学んだのだろう。この文章題なら、サインじゃなくてタンジェントなんだろう、みたいな感じで。
ブリコラージュの仕方を学ぶのが勉強なんだろう。綺麗にブリコラージュできる人がきっと努力型天才にもなれるんだろう。
なんだ、勉強って遠回りじゃないか。もっと近道開発しろよ。
賢い人はそうやって、2週間で完璧!みたいな本を売って、印税生活を営めるのだろう。
残念ながら私はそれほど賢くない。遠回りして、獣道をふらふら歩いて、竹やぶの中で握り飯とお茶を楽しみながらじゃないと疲れてしまう。
そのおかげでこの道には良いお茶屋さんがある、この先に松茸が生えている、みたいな要らない知識を詰め込めるんじゃないかしら。いや、そうであってくれ人生。
頭空っぽのほうが夢詰め込める。
とかいうじゃない。効率悪くていいよ。バカだもん。バカと天才は紙一重なんでしょ。天才にならせておくれよ!