今日は大学院生らしく小難しい話でもしてやろうと思った。しかしそういう話ができるほど賢くもないことに気づいた。だから誰でもできる昔話でもして許してもらおう。
小中学生の頃、恐ろしいことが二つあった。
一つは、唾液が永遠に出続けること。これは怖かった。当時、寝ているとヨダレを垂らしまくっていた。そこで、コントロールしようと思ったけども、一向に止まる気配がしない。いつになってもだ液が止まることはなく、自分の体のことなのにいうことを聞かないのが嫌で嫌で仕方なく、泣いたことがあった。いやぁ怖かった。これはただ、それだけの懐かしい話。
そしてもう一つ。考えていることが変わり続けるのに、変わらないものがあること。
わかりやすく言えば、このまえ気になったあの子について風の噂で嫌な奴だと聞くと一瞬にして敵に変貌する。変わって変わって変わり続ける自分が嫌になった。
それなのに、好きなゲームキャラについては四六時中考えてしまう。あぁ、僕は死ぬまでこのキャラクターのことを考え続けてしまうのか。そう思うと嫌になった。
これがいまでは恐ろしいものと考えなくていいんだなあと落ち着くようになった。
考えが変わるというのは、軸がないとか不誠実とか人情無しという評価を与えられるだろう。だけども、生活しやすいように自分自身を適合させているだけで、無理のないようにしているだけなのだ。無理に変えようとしなければ頑固になるし、思想の奴隷になるし、なにより頑固であることは辛いぞ。本当は〇〇したいけどそんなの許されない!これを一概にダメだというつもりはさらさらないけども、しんどくないですかねぇ、と心配になる。だからすぐに変わっていいと思う。
逆に考えが変わらない、一つのことを頭の一部が占め続けている状態。これもまたいいことだ。人間ほとんどの情報をすぐに捨てられるようできているらしいじゃないの。それは情報過多な世の中を生きる術なんだってね。それなのにしつこくこびりついている情報があるっていうことは、すぐには言語化不可能な、こう、魂に訴えかけてくるものがその情報には含まれていたってことだ。だから嫌だと思わず永遠に脳みそに残しておけばいい。
だいちがいうような、旅を求め続ける感じはもしかすると変化し続けるためなのかもしれない。思想の奴隷にならない、といったように〇〇の奴隷にならないためには、なんにも属さないことが必要なんだね。私の親父だったら、家族そして俺の奴隷になっていた、と表現してもおかしくはないと思う。だって俺を養うためにしたくもない仕事に向かっていったんだもの。だから奴隷になることはそんなに悪くないことだと思う。だけども自由を求め続けるのも悪くないと思う。どっちが幸か不幸かはその人が決めればそれで正解なんだね。
そう。結局僕の脳を占めていたゲームキャラというのは妖怪でした。それがいまでも小さくはなったけど脳の一部を占領し続けるから、私は民俗学の手法を研究に取り入れてやろうと思っているわけです。
僕は妖怪の奴隷になったんだ。