〈257.さん付け議論〉
小難しい議論をしようと思ったが、こんな時間(1時半)になってしまったので、やんわりとした疑問を書いて終わりにしよう。
友達との会話。例えば好きな芸能人、スポーツ選手の話になったとしよう。あなたはどのように紹介するだろうか。
スポーツ選手ならば特に考えなくていい。"錦織選手"となる。
しかし私の頭を悩ませるのは俳優やら女優やらを話す時だ。
"ムロツヨシ「さん」が好き"
というふうにだ。
なにが言いたいかというと、芸能人に対して敬称をつけるかつけないか問題である。
芸能人でなく、一般人であれば簡単な議論だ。芸能人よろしく、こちらから一方的に認知している一般人であれば、間違いなく"さん"をつけるだろう。
"あぁ、山田さんね、心理学部の。この前ポスター発表してたわ。"というようにだ。
スポーツ選手も悩まなくて済むのは、迷ったらとりあえず"選手"をつければいいし、敬称をつけなくても、まあ間違いなく私とは次元の違うところで生きているわけで、特に私の場合、テニス選手に対してはこれ以上なく尊敬していて、もはや尊敬しすぎてアクセス不可能だと考えるため、異次元の存在として敬称をつけることがない。
しかし、芸能人となるとそうともいかない。もちろん、敬意を払っているわけであるが、スポーツ選手に比べて現実味があるというか、生活世界がそう遠くないような気がする。だからとりあえずさん付けしたほうがいい気がしている。
なんでこんなことになるのかというと、人を立場や役職名で差があると無意識下に認識しているからではないかと自省を込めて考える。人間は地球規模で考えてみれば、個体差に意味はなく、同じ動物の中で筋肉が発達しているもの、文化活動に貢献しているもの程度になる。
だから頭の理解としては、全員に対して敬意を払ってさん付けすべきなんだろう。
という議論をしたものの、有名人にさん付けするのに抵抗感があるのが正直なところ。
"ムロツヨシさんが好きだな。"というのはなんかこう変な感じがある。
というのは、私とムロツヨシの間に隔たりはなく、アクセス可能域にあると思い込んでいるような、傲慢さが見え隠れするからだ。スポーツ選手同様、異次元存在と理解しているならばもはやさん付けしないだろう。だけど敬意を意識して払う必要がある、と認識しているのは、自分と同レベル程度にその対象を認識していることを示すことになる気がして…。
という不毛な議論でした。
とりあえず(敬称略)ってことにすればいいんじゃない?