思考を放棄した時、人間として失格なのか
かのデカルトは人間は考える葦であるとか、なんだかよくわからないことを言っていたがまさに人間たらしめるものの1つはそれだろう
ライオンの牙に一撃でダウンする猿が生態ピラミッドのトップに立てたのは戦略的に考えるという最強の武器があったからでしょう
昔から、考えることが面倒だと思うことがある
自分で考えて行動するよりも、何も考えずに行動し続けることに快適さを覚えるのだ
行動を一心不乱にしている間はそのことだけを考えていればよい。獲物を追うことだけを考えて、来月の備蓄のことなんかは頭から追い出してやるのだ。
だが、それではいけないのだ。考えに考えて、それから走り出すことでもっと遠くまで行けることがあるからだ。
なぜ、考えることがめんどくさいのか。
それは誰かの考えに従って行動していれば自分はエネルギーを消費せずに済むからだ。ずっとそうやって慣らされていると、寝たきりの患者が起きてすぐに歩くのが困難なようにいままで止めていた頭を回転させることが億劫になるという非常に危険な状態に陥る。そして、そんな自分に嫌気がさすのだ。
考えることをめんどくさがっている自分にストレスを感じているならば、僕がすべきことは徐々に身体を起こすことだ。つまり、自己決定の機会を多く増やすことでその状況に慣れさせる。
自分で決めて、自分で動く
当たり前のことではあるがなかなか難しいことでもあるのかもしれない。