3月19日。
今日気になった話。
ヒーローになりたいと思ったら、その時点でその人はヒーローになれない。
誰かを助けたことで自己実現する支援者になってはいけない。
SNSで流れてきた話。なんでだめなのか考えてみよう。
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ヒーローとは、人を助ける人ということにしよう。それになろうと思ってはいけない、けど実際に目指す存在がある。その人はどういう存在なのか。助けることを目的にせずに、別の目的のために行動したら、結果的に人を助けることになったということか。
つまり、人を助ける時は結果的に助けたのであって、助けることを目的に行動してはいけないということだ。
では人を助けることを目的にすることのなにが悪いのか。いいじゃん助けになるんだから。
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人を助けるということは、つまり誰かはマイナスの状態である必要があるということだ。
例で言えば、地震で家を失う人であったり、事件に巻き込まれたり、そういうこと。そういう悲しい出来事があるから人を助けることができるというわけだ。
人を助けにすることを目的にするとどんなことが起こるか。マイナスな状況によって自分のポジティブな状況が生まれるということだ。言い換えれば、人のマイナスによって自分の存在価値が確かめられるということだ。
ここまで考えればたしかにそうかもしれない。人を助けることを目的にしたら、それはつまり人がマイナスである状況が必要になる。人のマイナスが自分のプラスになってしまう。自分のために人を犠牲にするということだ。
自分の幸せは他人依存になるし、しかもそれが他人の不幸であるのだ。自分の幸せを自分で決められないと安定した幸福は求められない。
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じゃあ、ヒーローはなにを目的にして結果的に人を助けているのか。平和であり、愛であり、幸福である。全ての人間が幸せであることを祈って世界を飛び回り、幸せでない状況を打破するために結果的に人を助けている。
いわゆる目的と手段の混同というやつを避けることだ。目的はあくまで人の幸せであり、手段として人を助けているのだ。
よくある話、目的と手段は混同しがちなのだ。
これを注意深く見つめ直し続けないと取り返しのつかないことになる。
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なぜ、あなたは人の助けになりたいの?ここをよーく考えることだ。その末にヒーローになる人もいるだろうし、ヴィランになってしまう人もいる。
正義もよくわかんないし、悪もよくわからない。自分のなりたい姿はどんな思考回路をしているのか。よく考えることなんだな。